桂タフト協定とは?その内容や締結理由、韓国の反応について

桂・タフト協定とは

 

西暦1905年(明治38年)の7月に日本と米国との間でお互いの権益を認め合った秘密覚書(ひみつおぼえがき)のことです。外交に関わる場合の「覚書」という用語は普通宛名も署名もされない簡略化された文書なのだそうです。国際的な話し合いの内容をまとめ、話し合いをした相手側に手渡されることとなるものです。

日本(東京)で当時の内閣総理大臣桂太郎さんと当時米国の陸軍長官を務めていた、後(1909年)に合衆国大統領となるウィリアム・タフトさんが会談し、この協定内容を確認し合いました。その後セオドア・ルーズベルト大統領も内容を確認しています。秘密覚書ということもあり、協定が結ばれた当時協定内容は世間に公表されていません。

 

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桂・タフト協定の内容は

 

この協定では三つの項目に関する内容が確認されました。一つはフィリピンに関すること。二つ目は東アジアでの国際的な秩序に関すること。三つ目は大韓帝国に関すること。この三つです。

一つ目のフィリピンについてですが、日本がアメリカの植民地となっているフィリピン地域に侵攻し支配することはせず、米国のフィリピンにおける権益を認めるというものでした。

二つ目の東アジアでの秩序についてですが、これは極東における平和は日本、アメリカ、イギリス、この三カ国の協力によって守り維持されるべきであるという内容でした。

三つ目の大韓帝国についてですが、これはアメリカが大韓帝国における日本側の権益、つまり日本が大韓帝国を保護したり監督したりする権利を認めるという内容でした。

 

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この協定が締結された理由

 

日本にも米国にも、お互いが確認し合いたい事情があったようです。日清戦争の講和条約、下関条約によって清国が、日英同盟協約によって英国が、朝鮮半島の日本の権益を認めてくれていましたが、他の欧米列強は別にそのような日本の権益を明確に認める状況では当時ありませんでした。日本はまさにその件でロシアとその頃戦争をしています。列強の内一つでも多くの国に朝鮮半島での日本の権益を認めてもらいたい、日本の敵に回したくはない、という考えが日本にはありました。

アメリカは上記の通り、その頃フィリピンを植民地支配していました。フィリピンの北には中国大陸もありますが、それ程離れていない地域に台湾も存在します。そして日清戦争での勝利により台湾は日本が支配していました。日本の支配地域がフィリピンからそれ程離れてはいなかったのです。ロシアとの緒戦で勝利していることで日本が自信をつけ、他の欧米列強との戦争に踏み切るならば、日本の近くに存在するフィリピンが危険だ、とアメリカは考えます。そのため日本側にフィリピンにおけるアメリカの利益を認めてもらいたいという狙いがありました。

 

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この協定に関する韓国の反応について

 

上記の通りこの協定は当時秘密の覚書とされていたため公にはされませんでした。ですから当時の朝鮮半島の人たちはこの協定内容を知ることは無かったのです。この協定の存在が判明した、世間が知ることとなったのは協定が結ばれてしばらく経過した、西暦1924年(大正13年)のことだったそうです。大韓帝国は1910年に日本に併合されています。1924年ということですから、その頃大韓帝国は存在せず、日本となって10年以上経過していた時代です。

現在の韓国の中にはこの桂・タフト協定を理由に日本に対してはもちろんですが、米国に対しても「米国は信用できない!」と反感を持つ人たちがいるそうです。

また欧米列強の一角である米国が日本による大韓帝国の保護監督を認めたことで韓国併合の話が進んでしまったという韓国側の指摘もあるようです。

 

今回は桂・タフト協定について取りあげてみました。日本にとってもアメリカにとっても本来は自分の領土ではなかった大韓帝国、フィリピンのことを二カ国だけで協議しお互いがそれぞれの地域で権益を得ることを認め合ったという現在の価値観で見れば大変身勝手な出来事です。しかしその時点で力のある国が一体どのように振る舞うものなのかということを知る上でこの出来事を知ることは大変重要だと思いました。教科書で太字にもならないこの項目を取りあげたのはそれが理由です。

この時の協議で日本側は、もし日本が大韓帝国に介入しなければ大韓帝国は欧米列強のうち、どこかの国との関係を強めることとなるだろう。そうなった場合(大韓帝国と関係を強めた国が日本のすぐ近くに軍を駐留させ日本と利害が対立することとなるから)日本は安全保障上韓国と関係を強めた国と今回の日露戦争のように再び戦わなければならなくなるだろう、といった内容を主張したのだそうです。米国側からこの件で反論は無く協定は成立しました。

他国(この場合フィリピンや大韓帝国)の命運より自国、自国民の安全保障、利益を優先させて政策は決められていったというこの歴史的事実は、弱い国の立場のままであったら世界情勢が非常に困難な時代となった場合、本当にひどいことになってしまうということを強く示しているように思います。どの国も国防に関して軽視してはいけませんね。弱い国が存在することでかえって周辺の強国の間同士で戦争が発生してしまうということもあるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

強国密約関連記事「第一次、第二次日露協約とは?その内容や締結された理由についても」はこちらです。

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