桂ハリマン協定(覚書)とは?協定の破棄された理由についても

桂ハリマン協定とは

 

桂ハリマン協定(かつらはりまんきょうてい)は西暦1905年の10月に、日本国の内閣総理大臣であった桂太郎さんとアメリカの企業経営者であったエドワード・ヘンリー・ハリマンさんの間で成立した合意のことです。

日露戦争に勝利し講和条約であるポーツマス条約の中にもある通り、ロシアがいわゆる満州地域に敷いた鉄道の一部を日本国が譲り受けることとなりました。このロシアから譲られた鉄道を運営するにあたってハリマンさんが自分たちにもロシアから譲られた鉄道の経営に参加させてほしいというお願いをしてきました。日本とアメリカが対等な立場で共同で経営するという内容でした。

このハリマンさんの求めに日本政府側の多くの人たちが賛成し予備の協定が成立しました。しかしその後この協定は破棄されることとなります。

桂さんとハリマンさんのこの協定については桂ハリマン覚書(おぼえがき)と呼ばれることもあります。

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この予備協定で合意された内容には鉄道の維持、整備などを行うために企業が連携する組織を作ることや、その組織が得た財産は均等に所有権を持つこと、経営によって得る利益も公平に得られることなどが盛り込まれていたのだそうです。日本側とアメリカ側で所有権や利益を公平に分割するということのようです。

この協定に賛成した日本側の人々にはアメリカが関与してくれた方が、すぐ近くに存在するロシアに対するけん制になるだろうという期待があったようです。また当時の日本には満州を経営するのに十分なお金が用意できるか心配だったということもあり、アメリカが資本参加してくれるならその点での心配も解消されるため、一旦は合意が成り立ったということのようです。

 

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協定の破棄された理由について

 

一旦合意した桂ハリマン協定。しかしその後まもなくこの合意は無かったこととなります。当時の日本国の外務大臣を務めていた小村寿太郎(こむらじゅたろう)という人がこの桂ハリマン協定の存在を後で知り強く反対したことが理由で協定が破棄されたようです。ポーツマス条約の仕事などで協定が結ばれた時に小村外務大臣はその現場にはいなかったんですね。

この協定に賛成していた首相の桂太郎さんや発言力のある元老の井上馨さんや伊藤博文さん、山県有朋さんらに協定の問題点を説得し、結局桂さんの名義で十分な調査がさらに必要なので先日の合意については一時中止したものと思ってください、というような内容がアメリカ側に伝えられたそうです。

小村さんはいわゆる満州地域に存在する鉄道の日本への譲り渡しについては清国の同意が必要だが、まだ清国から同意を得ていない。そのような状況で米国と共同経営の話をするというのは順番が違う、ということや日本軍の多数の犠牲によって得た南満州の鉄道という権益のかなりの割合を米国が取得するというのは、外交上問題であり日本国民が納得しないだろうといったことを理由に桂ハリマン協定に反対の立場をとったそうです。この協定の破棄についてハリマンさんは非常に強い不満を示しました。

 

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今回は桂ハリマン協定について取りあげてみました。一部で日本とアメリカの関係が悪化していくきっかけになったという指摘もある出来事だそうですし、だいぶ経過しますが日米間で戦争も発生したわけですから重要な出来事なのではないかと思いました。この件について高校の教科書でも小さく取りあげたりはしているようですね。

この協定の合意内容を破棄したことでハリマンさんから強い恨みを買ったようでその後日本とアメリカの権益が衝突するような動きをハリマンさんがしたという指摘もあるようです。

実はハリマンさんには日露戦争当時日本はお世話になったようです。日本が戦争を遂行するための費用をねん出するため、債権を発行しましたが、このハリマンさんがたくさん買ってくれたといういきさつがありました。

お金が無いと戦争も継続できなかったでしょうし、日露戦争を有利な状態で終わらせることが出来たことに関しハリマンさんもいくらか貢献していたということになります。そういった点で力になってあげた自分に対し日本側の態度は裏切りのように感じたのかもしれませんね。

小村さんはハリマンさんというアメリカ資本の参加に反対したのですが、南満州鉄道の運営をするために結局は外国の銀行から資金を提供されていたのだそうです。それならば最初から自分に参加させてくれればよかったじゃないかとハリマンさんは更に腹を立てたかもしれません。ハリマンさんの鉄道運営参画の為の働きかけには当時のルーズベルト大統領の意向もあったという指摘もあります。この件で日本はアメリカ権力中枢の不興をかったのではないでしょうか。

利益を独占しようとすると恨みをかうことになる、仮の協定だったとしても約束を後で覆すようなことをしてしまうと反発を受けることになる、そんなことをこの「桂ハリマン協定」という出来事を調べていて感じました。恨まれないようにうまく立ち回るのは大変ですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

<(_ _)> ※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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