第一次世界大戦時、参戦した日本の山東省や南洋諸島での動き

山東省での日本の動き

 

英国の要請、英国との協議によって日本は東アジアに存在するドイツ帝国の勢力地域に介入することとなります。ドイツ帝国は中国大陸にかつて清国から租借、借りていた地域を清国が亡んだ後中華民国が誕生してからも借り続けていました。その地域は中国大陸の山東半島がある地域、山東省です。朝鮮半島の付け根近くにある半島の遼東半島(りょうとうはんとう)と向かい合った位置にある半島が山東半島になります。1897年に山東省でドイツ人宣教師が殺害される事件が発生し、これを理由にドイツ軍が山東省沿岸から上陸し占領しました。その後ドイツ帝国と清国の間で条約が結ばれ、99年間山東省の沿岸地域膠州湾(こうしゅうわん)を租借、借りることが出来るようになってしまいました。条約の上で借りることとなった場所は沿岸地域に限定されましたが、他の山東省の地域に鉄道を引いたり、付近の鉱山をドイツの好きなように使うことも清国が認めたことで山東省は実質的にドイツ帝国の勢力範囲となります。「借りる」などということになっていましたが結局は自分の領土のように扱って構わない地域となったということになります。この山東省にドイツ帝国は東洋艦隊という太平洋で活動する艦隊の基地を設けます。その基地は山東半島の南にある青島(ちんたお)という場所にありました。この基地を日本は英国の部隊と共に攻略することとなります。

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日本陸軍は1914年の9月に山東半島の北側に上陸し基地が存在する青島に進んでいきました。4週間ほどかけて青島に到着。青島の基地を包囲する体制をとって、様々な種類の大砲を使用して攻撃する方法を採用したようです。大砲による攻撃の準備にさらに一か月ほど時間をかけ、その後に大砲による攻撃を開始しました。攻撃開始後一週間という期間で基地にこもって戦っていたドイツ軍は降伏し、日本と英国の連合軍は青島の基地を占領することに成功しました。

 

南洋諸島での日本の行動

 

第一次世界大戦当時、ドイツ帝国は太平洋の南の島々を自国の領土としていました。その地域は「ドイツ領ニューギニア」と呼ばれていたようです。パプアニューギニアのあの「ニューギニア」ですね。この地域はもともとスペインが植民地にしていたそうですが、ドイツがマーシャル諸島という太平洋の真ん中にある島々を占領、ドイツ領とし他の地域も1880年代にスペインから莫大な金銭を払って購入したのだそうです。

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このドイツが支配している地域についても日本軍が介入することとなりました。この地域ドイツ領ニューギニアについては日本だけでなく、オーストラリアもドイツ勢力の排除のために参加しています。実際にドイツ軍と戦闘となったのはオーストラリアの軍だけだったそうです。ニューギニア島の東側にあるニューブリテン島で戦闘となりました。ドイツ軍は降伏しています。1914年8月23日に日本はドイツに宣戦布告します。その後間もなく日本は海軍を派遣し英国などと取り決めがあってドイツ領ニューギニアのうち赤道から北にある島々(カロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島)を攻略することとなりました。派遣された日本海軍ですが、ドイツ軍とは戦闘にならなかったようです。ドイツ側の軍勢は日本との戦闘を避けるため、日本海軍が到着する頃には島を離れていました。こうして日本軍は赤道より北にある島々を占領することに成功しました。同年9月には占領が出来ていたようです。

 

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今回は第一次世界大戦で日本が作戦に関わった代表的な出来事について取りあげてみました。英国の同盟国として第一次世界大戦で日本はどれだけ貢献したのか内容を確認したくこのようなテーマで記事を作ってみました。欧州での激戦とは対照的に特に南洋の島々では目立った戦闘も無く占領に成功したということを今回初めて知りました。戦いらしい戦いは山東省の青島攻略位だったようですね。ただあまり取り上げられていない印象がありますが、日本の特に海軍は戦争に参加している連合国側(イギリス側)の国籍の商船の保護や連合国の兵員を輸送するため大変な活躍をしていたのだそうです。当時ドイツやオーストリアの海軍は潜水艦で連合国側の船を様々な海域で攻撃する作戦をとっていました。商船を攻撃するというのは国際法上問題になるのではないかなと思いますけれど、当時民間の航海も安全に行うことは出来なかったようです。連合国側の海上輸送の保護に貢献していた日本海軍ですがその任務中に攻撃に遭い犠牲となった海軍の方々がおられます。80名近い方々が命を落とされたそうです。青島の攻略でも日本陸軍で300名近い犠牲者が出ていますし、個人的には日本側の被害が少なかった印象の強い第一次世界大戦ですが、決してそういうわけではありませんでした。また調べている過程で英国やフランスなどから日本に対しヨーロッパへ陸軍の派遣をしてほしいと再三要請があり、日本側がこれを断っていた事実があることを知りました。同盟を結んでいる相手から要請があったにもかかわらず日本はそれを断っていたんですね。一般的に義理堅い印象を持たれるような事例が日本の場合は多いと思っていましたがこの当時の日本政府の対応は意外に感じました。後に日英同盟が解消されることになりますが、この時の対応が影響したのかどうか。同盟関係があるとは言っても肝心な時に助けを要請しても拒絶される場合があるということを考えると、同盟というのは戦争を抑止したりすることには役に立つかもしれませんけれど、いざという時本当にあてになるかどうかはわからないものなのかもしれませんね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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