日米修好通商条約の内容と不平等条約と言われる理由とは

日米修好通商条約の内容

 

日米修好通商条約は全部で14条から出来ています。

 

第一条は日米が外交官を任命しお互いの国に駐在することや駐在する国を旅行することが出来る件について書かれています。

第二条は日本と欧州の国の間で何らかの問題、対立が生じた時は日本の求めに応じ、アメリカの大統領が仲立ちするといった内容が書かれています。

第三条はこの条約によって開く港について詳細が書かれています。別の記事でも触れてはいますが神奈川、新潟、兵庫、長崎が新たに開港されることになり、下田は神奈川が開港された後閉鎖されることになりました。開港した土地では居留地をもうけアメリカ人がその居留地で滞在することを許可することや日米の商人が日本の役人の立ち会いなく自由に商売をすることが出来るといった内容が書かれています。

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第四条では輸出入される物品には協定書に決められた通りの関税をかけることが書かれています。他にわざわざアヘンは輸入しないと書かれています。もしアヘンがあった場合には没収することになっていたようです。

第五条では開国後一年間は日本の貨幣で取引することや日本の通貨、外国の通貨を輸出出来る事、外国の通貨は日本の通貨と同様の物を使う事(金は金、銀は銀など)などが書かれています。

第六条では日本人に対し罪を犯したアメリカ人はアメリカの法律で日本に存在するコンシュル裁判所(領事裁判所)で裁かれる。アメリカ人に対し罪を犯した日本人は日本の法律で裁かれる。という内容が書かれています。

第七条では開港した場所でアメリカ人が行動できる範囲について書かれています。

第八条では日本国内でアメリカ人の居留が認められている地域にキリスト教の礼拝堂のような施設を作ることを認め、アメリカ人は日本の宗教施設(神社、仏閣など)を破壊するようなことを禁止し、日米間で宗教を理由に争わないといった内容が書かれています。

第九条ではアメリカの領事が求めた場合は日本の取締機関がアメリカの犯罪者を逮捕、拘束出来、経費はアメリカ側が支払うといった内容が書かれています。

第十条では日本がアメリカから軍艦や商船、兵器を購入したり制作を依頼する事を認め、学者、軍人、船員、専門家などを招き雇う事も認めるといった内容が書かれています。ただアメリカと友好関係のある国が日本と戦争をした時は兵器の輸出を中止することとしたようです。

第十一条では条約に付属する貿易に関する決まりも日米両国民は守るようにと書かれています。

第十二条では日米和親条約とこの条約で内容に違いのあるものについてはこの修好通商条約の内容を優先すること、また1857年に下田で結んだ日米追加条約は今回の条約を結ぶことで無効となることが書かれています。

第十三条ではこの条約を改正する時の手続きに関する内容が書かれています。改正するとしても1872年以降と決められていたようです。

第十四条ではこの条約が効力を持つ時期について書かれています。1859年が開始日となります。

以上が条約の大まかな内容となります。

 

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不平等な条約と言われる理由

 

物品の輸出入でかけられる関税について条文(第四条)には書かれていますが、協定書に書かれている関税をかけるという事になっていました。つまり日本とアメリカが協議して関税の税率を決めたものがあってそれに従い税金をかけていたという事です。つまり輸入されてくる物品に対し日本独自の意思で税率を変更するという仕組みではなかったという事です。

実は協定書に書かれている税率に従って関税をかける義務は日本側にだけ課せられていたそうです。アメリカ側は税率に関し協定書に縛られなかったのでこれは不平等という事になります。

 

第六条にある通り日本国内でアメリカ人が犯罪をしたとしても日本人がそのアメリカ人を裁くことは出来ず、コンシェル裁判所(領事裁判所。アメリカの施設です)でアメリカの法律で裁かれることになっていました。領事裁判権などというそうです。日本国内で発生した犯罪は日本の法律で裁きたいところですがそれが出来ない仕組みでした。この項目も不平等の理由として指摘されています。

第六条にはアメリカで犯罪をした日本人の場合、アメリカにある日本の領事裁判所で日本の法律によって裁くといった内容は書かれていません。一方的な内容と言えるでしょう。

 

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社会の時間に開港した場所や不平等条約である理由の関税自主権放棄、治外法権容認について習ったように思いますが、まじまじと条文を見ていくようなことはこれまでしたことがありませんでした。

兵器購入、欧州と対立した時にアメリカが仲介するといった内容も書かれていたことを今回初めて知りました。当時の幕府の人たちがアメリカの支援を受けて軍備を整えようとしていたということでしょうか。

確か幕府はフランスの支援を多く受けることになったような気がしましたが、あまりアメリカから軍事支援を積極的に受けたという話はこれまで聞いた気がしません。条約に書きはしたものの実質的な支援はそれ程でもなかったということでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

日米修好通商条約関連記事「日米修好通商条約後の貿易品の内容や貿易の影響について」はこちらです。

日米和親条約関連記事「日米和親条約が結ばれた年号と条約を結んだ人、条約の内容について」はこちらです。

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