故事成語「涸沢の蛇」の読み方や意味、由来の話について

「涸沢の蛇」の読み方

 

故事成語「涸沢の蛇」は「こたくのへび」と読みます。「涸沢」はいかがでしょうか、読めましたでしょうか、私は読めませんでした・・・。「涸沢」は今回の記事を作っていて初めて聞くこととなった言葉でした。

 

「涸沢の蛇」の意味

 

「涸沢の蛇」は「双方共に相手を利用して、結果的にお互いが利益を得ること」という意味になります。

文字自体の意味ですが、「涸沢(こたく)」という言葉は「水の流れが無くなってしまった小さな川、短い川」という意味になります。私の場合、「かれる」という言葉は枯れるという漢字くらいしか思い浮かびませんが、涸も涸れる(かれる)と読むそうです。

ということで「涸沢の蛇」の文字通りの意味は「水の流れが無くなってしまった小さな川のそばにいる蛇」ということになるでしょうか。

 

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故事成語となった由来の話

 

「涸沢の蛇」が故事成語となった由来の話は中国の古典、「韓非子(かんぴし)」の中に掲載されています。

書き下し文を私なりの言葉で現在の表現にし直したものを以下に示します。誤った所があるかと思いますがご了承ください。

 

大昔の中国大陸に斉(せい)という国がありました。その国に鴟夷子皮(しいしひ)さんという人物がおりました。この人は田成子(でんせいし)という有力者に仕えていました。

ある時この田さんが斉の国を去って、別の国である燕(えん)に逃げて行きました。田さんに仕えていたので子皮さんは移動のための馬を率いてついていきました。一行は望(ぼう)という町に到着しました。

子皮さんは田さんに「田さま、涸れた小さい川の近くにいる一匹の蛇のことを聞いたことがありませんか?涸れた小さい川の近くにいた蛇が移動しようとしていました。するとその蛇は自分より小さな蛇と遭遇しました。

小さいほうの蛇は大きいほうの蛇に向かって言いました。『大きな蛇さん、あなたが移動してその後を私が付いていくと、ただ蛇が移動しているだけだ、と人間は考えてきっとあなたを捕まえ生かしてはおかないでしょう。お互い了承して小さい蛇である私を大きい蛇であるあなたが背負った状態で通行する以上に良い方法はありませんよ。そうした場合、人はその光景を見て背負われている蛇を神様だと思うでしょう。そうすればその状態で道を移動することが出来、人間は神様だと思って我々に手を出すことも無いでしょう。』といったお話です。」

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この話のあと子皮さんは田さんに「今現在あなた様は外見も立派に見え、一方私はみすぼらしい状態です。あなた様が私より上の立場の人ということにするのならば、田さまは兵車千台を従える貴人のように見えることでしょう。しかし田さまが私に仕えるものということにした場合には私は兵車一万台を率いる位の高い役人のように皆思うことでしょう。田さまが私の家来だということにしておくのが一番良いでしょう。

こういった理由で田さんは馬を率いて子皮さんに付き従い、宿に到着しました。宿屋の主人は子皮さん一行を見て大変丁重に待遇し、御馳走をふるまいました。

 

以上が韓非子に掲載されている由来の話です。

 

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今回は故事成語「涸沢の蛇」を取りあげてみました。この故事成語はそれ程有名な故事成語というわけでもないようですが、由来となった話が個人的に興味深かったため記事にしてみました。

確かに蛇の上に小さな蛇が乗って移動していれば大変珍しい光景なのでそれを目にした人は手出しをしないかもしれません。そのような蛇を捕獲すると罰が当たると思いこんだりするかもしれませんし。また、見た目の大変立派な人が仕えている人物がいたとしたら仕えられている人は相当偉い人なのだろうなと思うかもしれません。

でもみすぼらしい恰好をした人に立派ないでたちをしている人が仕えていたらみすぼらしい人がすごく位の高い人物に感じるものなのでしょうかね・・・。これに関してはしっくりこないというか、よくわかりませんでした。

いずれにせよ子皮さんは宿でよい待遇を受け普段仕えている人に仕えてもらって悪くない気分でしたでしょうし、田さんにしてみれば100%満足のいく話ではなかったでしょうが、田さんもありのままで宿屋を訪れた場合よりも良い待遇を受けることが出来たのですから田さんにも利益はありました。子皮さんも田さんもこの策で利益を得たわけです。

この話の中ではうまくいきました。二者共に利益になる話がある場合、デメリット以上の利益があるかどうか考えて割に合えば、その話に乗るのは何も問題は無さそうに思います。でもいつもそのようないい話ばかりとは限らないようにも思いますので、よく考えたら自分が損していた!ということの無いように気を付けたほうがいいかもしれません。

そしてこの故事成語の記事を作っていて思ったのは、見た目というのは、やはり相当影響力が大きいということです。子皮さんと田さんが良い待遇を受けたのはそもそも田さんが立派な身なりをしていたからであって、子皮さんも田さんもみすぼらしい身なりであったのなら宿で良い待遇を受けることは出来なかったでしょう。人から良い印象をもたれたいと強く思うのであれば身なり、外見にはそれなりに注意したほうがよさそうですね。この故事成語の由来となった話からはそんな教訓も汲み取ることが出来るような気がしました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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