ワシントン会議とは?会議が開かれた背景や日本側の全権についても

ワシントン会議とは

 

ワシントン会議とは西暦1921年(大正10年)から1922年にかけて開催された国際会議です。当時存在していた国際組織、国際連盟(1920年に誕生していました)が中心となって開かれた会議ではなくアメリカ合衆国が諸外国に提案して開かれた会議でした。当時の国際情勢の力関係を反映しているということでしょうかアメリカとイギリスが会議をリードしたという指摘が多いです。この会議が行われることによって参加国の海軍軍縮に関わる条約や太平洋海域に関する条約、中華民国に関わる条約などが調印されることとなりました。この会議に参加した国はアメリカ、イギリス、イタリア、日本、フランス、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中華民国の9カ国でした。最初の5カ国は当時軍事大国でした。海軍の力も強かった国です。この会議は海軍の軍縮を話し合う目的もあったので参加が必要となったようです。他のオランダ、ベルギー、ポルトガル、中華民国の四カ国は中華民国の問題を協議するという理由で会議に参加しました。オランダ、ベルギーは中華民国領土内に租界を持っていました。ポルトガルは中国大陸にあるマカオという地域を領有していました。租界というのは外国人が居住する地域で、この場合で言えばオランダやベルギーの人々が租界の地域で生活し中華民国の法律に縛られずオランダやベルギーが政治を行うことが出来るような取り決めになっている場所です。租界は中華民国の支配が及ばない場所となっていたのです。中華民国の領土内にある土地であるにもかかわらず当時はそのようなことがまかり通っていました。

 

スポンサーリンク

ワシントン会議が開かれた背景

 

この会議の開催を呼びかけたのは上に書いた通りアメリカ合衆国でした。この時の大統領はハーディングという人です。当時のアメリカは中国大陸や太平洋海域で勢力を広げている日本を警戒していました。中国大陸の南満州地域に限らず、日本は第一次世界大戦中に中国大陸の内蒙古という地域の東側の権益を中華民国に要求し認めさせましたし、日本がドイツとの戦闘で勝利し占領した中国大陸の山東半島の権益も日本が獲得することを主張し中華民国もそれを認めました。第一次世界大戦が休戦となった後に開かれた国際会議、パリ講和会議では山東半島の権益を中華民国に返還してくれと中華民国もアメリカも日本に要求しましたが認められず、ドイツと第一次世界大戦で戦った国々との間で交わされた講和条約、ヴェルサイユ条約では山東半島の権益は日本が獲得すると明確に記される結果となりました。また第一次世界大戦前にドイツが領有していた太平洋地域の島々を占領し日本はイギリスやオーストラリアと分け合い赤道から北の島々を領有することとなりました。現在のパラオや北マリアナ諸島、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦が存在する地域です。この日本の勢力拡大を食い止めたいというアメリカの思惑がありました。またアメリカやイギリス、日本は海軍の軍備を当時増強していたのですが、アメリカは経済的な負担もあってこれ以上海軍の軍備にお金をまわすことが難しい状況となっていたようです。そのため海軍力の強い国に軍縮させ自国の海軍力と釣り合うようにさせたいという思惑もあったようです。各国が軍縮する動きになればアメリカも自国の海軍に使う予算を減らすことが出来ます。アメリカのそのような思惑があって国際会議を開きアメリカの望みを実現させようと考えたわけです。

 

スポンサーリンク

ワシントン会議に参加した日本側の全権は

 

この会議に出席した日本の全権委員、日本国政府から任された内容について処理できる権限を与えられた人たちは複数名おられました。徳川家達(とくがわいえさと)さん、加藤友三郎(かとうともさぶろう)さん、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)さんです。徳川家達さんは江戸幕府の将軍家、16代当主、つまり江戸幕府が続いていたのなら将軍となっていた方です。当時日本の国会の一つ、貴族院の議長をされていました。加藤友三郎さんは海軍で活躍されていた方です。当時海軍大将となっていました。ワシントン会議が開催される1921年までに海軍大臣を務めた経歴もありました。後に内閣総理大臣を務める方でもあります。幣原喜重郎さんは外務省の官僚として活躍されていた方です。1915年の時点で外務次官(外務大臣の次に位置する高い立場です)となりました。この会議の後外務大臣を務めたり第二次世界大戦後には内閣総理大臣を務めることになる方です。本当に有名な方ばかりです。

 

スポンサーリンク

今回はワシントン会議の一部について取りあげてみました。ワシントン会議は日本が一度手にした権益を手放す結果となったり日本にとって非常に重要であった日英同盟が解消されてしまうこととなる、当時の日本にとってメリットの無い会議だったようです。このような会議が開かれた理由は何だったのか確認しておくことは、どういうことをすると強国からにらまれることになるのかを知ることにもつながるような気がしました。日本が中国大陸や太平洋海域で勢力を拡大するということは他のイギリスやオーストラリアが勢力を拡大するのとはわけが違ったんでしょうかね。それとも人種的な問題というより日本が中華民国に要求した二十一カ条の要求のような行為が日本に対するアメリカの不信感を決定的にしたんでしょうか。日本がドイツに勝利して半島を占領した後山東半島の権益を中華民国に返還し、中華民国に対し二十一カ条の要求のようなことをしなければワシントン会議開催とならなかったんでしょうかね。既に強大な軍事大国が存在する中、別の国が勢力を急拡大すると、勢力を急に拡大した国は「出る杭は打たれる」ということで既に存在している軍事大国に抑えられてしまうということなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

国際会議関連記事「ハーグ密使事件とは?事件後締結した第三次日韓協約の内容についても」はこちらです。

国際条約関連記事「1928年に締結された不戦条約とは?日本の姿勢についても」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る