ロンドン海軍軍縮会議とは?会議内容や日本の全権についても

ロンドン海軍軍縮会議とは

 

ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)とは西暦1930年(昭和5年)に英国の首都ロンドンにおいて海軍の軍備に制限枠を設ける目的で開催された軍縮会議です。この会議にはアメリカ、イギリス、イタリア、日本、フランスが参加しました。この会議でどの参加国も全分野の内容を了承したしたわけではありませんでしたが、一定の合意を見ることが出来ました。この会議を経てロンドン海軍軍縮条約(正式名ロンドン海軍軍備制限・縮小条約)が締結されることになります。この条約はイギリス、アメリカ、日本の三カ国のみが調印しました。イタリア、フランスは会議に参加したものの協議が物別れになり条約調印にはいたっていません。1930年4月に条約は調印され、日本が最終的に条約に従う決定(批准 ひじゅん)をしたのは同年10月のことでした。

 

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会議内容は

 

この会議が行われる以前海軍における軍備の制限について話し合われ合意に至ったワシントン会議というものがありました。この会議で話し合われた結果アメリカ、イギリス、イタリア、日本、フランスの間で海軍の主力となる軍艦の建造を10年間禁止することが約束されました。1922年のことです。この会議で各国の主力となる軍艦について制限がされたため、その後は主力艦と見なされない軍艦を各国は熱心に建造することとなります。主力艦と見なされない軍艦については補助艦(ほじょかん)と呼ばれ、巡洋艦(じゅんようかん)、駆逐艦(くちくかん)、潜水艦(せんすいかん)といった軍艦が補助艦に分類されていました。巡洋艦は速度の速い比較的小型の軍艦です。ただこの巡洋艦についても大きさで重巡洋艦、軽巡洋艦の二種類に分けられてロンドンの会議では協議が行われたそうです。駆逐艦は魚雷や機雷、爆雷など海中で爆発する兵器を搭載した軍艦である水雷艇(すいらいてい)を攻撃することを主な目的とした軍艦です。小型で高速で移動することが出来るという特徴があります。潜水艦は海中に潜ることが出来る軍艦でこれは有名ですよね。これら補助艦の軍拡競争が激しくなっていたということでロンドン会議では補助艦の保有を制限する取り決めと主力艦建造禁止期間をさらに延長すること(1936年まで)が約束されました。具体的には日本が保有する補助艦の数はアメリカの保有する補助艦の69.75%、約7割までということで日本政府側は了承しています。重巡洋艦に分類される軍艦で日本が保有できる数についてはアメリカの保有数の60%までと制限されました。このような点は日本の海軍側にとって大変不満な結果となったようです。

 

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この会議に参加した日本の全権は

 

ロンドン海軍軍縮会議に参加した日本の全権は若槻礼次郎(わかつきれいじろう)さん、財部彪(たからべたけし)さん、松平恆雄(まつだいらつねお)さんの三人だったようです。首席全権、日本側の複数の全権を仕切る立場だったのは若槻礼次郎さんでした。若槻さんはこの会議以前に内閣総理大臣も経験していた政治家です。関東大震災の後1927年に発生した金融恐慌の時に枢密院から混乱の責任を取らされ若槻内閣は退陣していました。大蔵省の役人として活躍した後貴族院議員となりその後大蔵大臣、内務大臣なども務められていた方です。財部さんは当時海軍大臣でした。1919年に海軍大将となられています。浜口雄幸内閣以外でも複数回海軍大臣を務める海軍の重鎮でした。この方の奥さんは海軍出身の元総理大臣・山本権兵衛さんの娘さんです。松平さんは外交官で当時イギリス駐在の日本大使をされていました。この方は江戸時代末期、京都の治安を守る役職であった京都守護職を務めた松平容保(まつだいらかたもり)公の御子息(6番目の息子さん)です。

 

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今回はロンドン海軍軍縮会議について取りあげてみました。浜口雄幸内閣の時代の出来事として有名なものの一つのようですし、他国と協調し軍縮に応じた理由を知りたく調べてみることにしました。浜口首相は昭和恐慌の記事でも少し触れましたが緊縮財政、政府の使うお金の額を切り詰めるという方針をとっていました。海軍の軍備を整える、海軍の軍艦を作ることは大変お金のかかる事業で国の予算の結構な割合となってしまいます。会議で英国や米国と協調し軍艦建造数を減らすことが出来るなら予算の節約にもつながるしそれは緊縮財政の方針にも合致します。海軍の軍備制限は浜口内閣の考えにちょうどいい政策だったんですね。とはいっても当の国防を担当する海軍の人たちは戦いに勝つための環境を整えていくのが仕事ですからアメリカの保有数に比べいつも6割とか7割といった少ない保有数で耐え忍ばなくてはならないことについては不満が募ったでしょう。国力を理由にしてアメリカと日本の補助艦の保有数が10:7くらいの比率ということなのでしょうか。こういった場面でも強い国の主張がまかり通るようです。アメリカとイギリスが結託して日本を叩く状況を考えると、イギリスの保有艦数は大体アメリカと同じですから英米:日本では20:7で圧倒的に不利です。戦争をしてはいなくても平時からこのような枠にはめる試みが強国の意向で行われました。予算の中で軍事費の占める割合が低いのはそれだけお金を他の分野にまわせることになりますから、必ずしも悪いことばかりではないのですけれど。公正ではない気がします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回全権として名前の出てきた若槻礼次郎さんが関わる話「柳条湖事件後の関東軍の動きと政府(若槻礼次郎内閣)の対応」はこちらです。

日本と英国の同盟に関係する話「四カ国条約とは?この条約の内容や日英同盟との関わりについても」はこちらです。

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