柳条湖事件とは?事件を起こした理由や石原莞爾についても

柳条湖事件とは

 

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)とは西暦1931年(昭和6年)9月に中国大陸北部、いわゆる満州地域、現在の遼寧省(りょうねいしょう)の中心都市、瀋陽(しんよう)、当時は奉天(ほうてん)と呼ばれていたのですがその都市の郊外、柳条湖で南満州鉄道株式会社の鉄道が爆破されたという出来事です。この鉄道を守備していたのは日本から派遣され、関東州に駐屯していた関東軍(かんとうぐん)でした。関東州というのは朝鮮半島に隣接した中国大陸の半島である遼東半島(りょうとうはんとう)の一部やロシアが満州地域に敷設した鉄道の一部を日露戦争後日本は譲り受けていますがその鉄道に所属している土地を総称した日本の権益である地域のことです。その地域を守る日本の軍隊が関東軍と呼ばれていました。鉄道を守備する担当であった関東軍はこの爆破について証拠品として武装勢力側が使用したとする帽子や銃を提示し満州地域を勢力下に置いている武装勢力による仕業であると断定しました。この武装勢力の指導者は当時張学良(ちょうがくりょう)という漢民族の人物でした。1928年に満州地域を支配する武装勢力のリーダーであった張作霖(ちょうさくりん)という人が爆殺されました。その子供が張学良です。この武装勢力は中国大陸の南部から勢力を拡大し中華民国を制圧した国民革命軍に当時所属していました。しかし武装勢力による仕業だという関東軍の発表は事実と異なり、本当に鉄道を爆破したのは関東軍の関係者たちでした。日本では第二次世界大戦が終わるまで事件の真犯人が全く公表されませんでした。この事件が満州事変のきっかけとなります。

 

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関東軍が柳条湖事件を起こした理由

 

満州地域や内蒙古地域に存在する日本の権益が中国大陸の勢力によって奪われてしまうのではないかという理由でさかんに当時の日本では「満蒙の危機」と叫ばれていました。このような問題を日本側に有利な状態で解決するため、日本軍の幹部の中には満州地域を中華民国から分離させて、日本の権益を尊重する勢力がその満州地域を統治するというのが望ましいと考える人たちもいました。当時の関東軍の幹部の中にもそのように考える人たちがいて、当時関東軍の幹部の一人であった石原莞爾(いしはらかんじ)中佐は満州地域、内蒙古東部地域の問題は日本がこの地域を領有することによって解決されると関東軍の上層部に主張しました。この柳条湖事件は関東軍の板垣征四郎大佐や石原中佐が計画したのだそうです。満州地域を支配下に置いていた張学良の勢力を日本軍が制圧し、日本が満州を武力占領するために武装勢力を攻撃する口実が必要となりました。そういった事情で関東軍関係者はこのような鉄道爆破事件を引き起こしたようです。

 

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石原莞爾について

 

山形県出身の人物で13歳から陸軍関連の教育機関に入り、陸軍士官学校、陸軍大学校と進み2位の成績で大学校を卒業しています。陸軍内のエリート中のエリートだったということですね。柳条湖事件で処罰されるということも無くその後も陸軍の軍人として活動します。しかし陸軍の幹部との関係が悪化したようで左遷されアメリカとの戦争が始まる前に現役を退き、予備役(よびえき)となっています。予備役になるというのは実際に戦争になったり訓練の時だけ軍隊に戻るという立場になることを意味しています。それまでの間に226事件を鎮圧する側として働いたり日中戦争の拡大に反対したりしていたということもありました。1941年の対米開戦についても反対の立場であったという指摘があります。柳条湖事件当時は満州地域、内蒙古地域を日本が領有すべきという主張をしていましたが、その後に満州国を日本の属国としてではなく本当の独立国とするべきだという考えに立場を変えたという話もあります。石原という人物の主張を一部取りあげてみても、目的の為なら手段が規則に違反していても実行に移してしまう非常に危険な考えの持ち主なのか、226事件を引き起こした勢力に反対したり、日中戦争の拡大に反対したり、対米戦争に反対した陸軍内部の良識派なのかよくわからない所があります。第二次世界大戦で従軍することは無く、軍を退いた後は評論活動をしていたようです。彼は1941年に「国防政治論」という本を出しており、この本が彼の政治に対する考え方を推測するのには良いのかもしれません。この本の中で「国防国家」と名づけた大東亜戦争に対応するための国のあり方について論じていて、その「国防国家」というものは天皇を中心とした組織が意思決定をおこなって国を指導し、その指導のもと国民を統制、管理し、日本国内で一つの政党しか認めない仕組みとなっているようです。民主政治を否定する、まさしく全体主義の国ですね。戦後は農業従事者として生活し1949年に病死しました。60歳でした。

 

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今回は柳条湖事件を取りあげてみました。満州事変のきっかけとなる出来事ですのでかなり重要な出来事と言えるのではないでしょうか。日本は満州事変の国際的な評価を受け入れることが出来ないとして国際連盟を脱退しますし孤立を深めることになります。日本の権益を守るという目的のためにどうしたらいいかをタブーなく考えるまでならば、とやかく言えはしないようにも思いますけれど、武装勢力の仕業として爆破事件をでっち上げてそれを根拠に満州地域を武力占領するなどという行為は許されるものではないですし、それがまかり通ると思うのは何故なのか首をかしげてしまいます。そのようなことをしてアメリカと武力衝突する危険性は無かったんでしょうかね。このような中華民国の地域かどうか議論となる地域だとしても、少なくとも日本の領地ではない地域を武力占領し奪い取ったわけです。似たような手法はその後日本軍によって別の中国大陸の地域でも使われることになるようです。その際、石原莞爾は反対したそうですけれど、後輩にあなた(石原のこと)のやり方を見習ったと言われたそうです。軍の規律に反すると、そういう悪い影響をもたらすことになるということでしょうか。1928年の張作霖爆殺事件も似たような話のように思いますが、軍事的な大国は国益追求のために自作自演の破壊工作をすることもある、ということを今回の事件でも改めて知る結果となりました。どこの覇権を狙う大国でも起こりうることなのでしょうか。マスコミが正常に機能しない限り、大多数の国民は当時の日本人のように長期間嘘を信じ込まされることになるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

満州地域の鉄道が関係する他の事件「張作霖爆殺事件とは?発生した場所や張学良の動きについても」はこちらです。

当時の満州地域の情勢に関係する話「満蒙の危機とは?日本の軍隊である関東軍の考えについても」はこちらです。

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