老中安藤信正公のすすめた公武合体とは何なのか調べてみました。

公武合体とは

 

公武合体(こうぶがったい)の公とは朝廷を意味します。武はこの場合幕府を意味します。公武合体とは朝廷と幕府が協力し連携を深め政治の動きに対応しようという考えです。大老井伊直弼(なおすけ)公が暗殺された後、幕府の安藤信正(のぶまさ)という人物がこの考えをすすめようとしました。

井伊直弼公が政治を取り仕切っていた時期は朝廷の許可なく通商条約を結ぶなど、どちらかというと朝廷の意向をないがしろにして幕府単独で政治課題を解決していく傾向がありました。公武合体とは異なる方針と言えます。

 

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安藤信正公について

 

安藤信正公は磐城平藩(いわきたいらはん)という藩の5代目の藩主、お殿さまでした。今の福島県太平洋側の地域に磐城平藩は存在していたそうです。6万7千石の藩でした。

信正公は自国の領地を治めるだけではなく幕府の役人としての仕事もしなければならない立場だったようです。大きな失敗もなく井伊直弼公が大老だった時期に幕府の家臣を管理する「若年寄」という役職に就き、その後昇進して「老中(ろうじゅう)」となりました。

桜田門外の変で井伊大老が暗殺された後この安藤信正公が幕府の政治を仕切ることとなったようです。老中のトップ「老中首座(ろうじゅうしゅざ)」になりました。老中は複数名いる役職でした。

 

公武合体のために信正公がすすめた象徴的な事例

 

井伊大老時代のような幕府独断の政治という方針を変更し、朝廷との連携を深めようと考えた信正公は江戸幕府14代将軍である徳川家茂(いえもち)公と当時の天皇(孝明天皇)の妹にあたる和宮(かずのみや)さんとの結婚を実現させました。この結婚によって孝明天皇と将軍家茂公が義理の兄弟となりました。

また朝廷や幕府の公武合体に賛成な人たちから支持されていた人材が主張する「積極的に外国と交易し諸外国の知識や先進技術を学び、取り入れ、日本の力を十分に強めた後に外国に対抗しよう。」という考えを実行しようとしました。

 

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坂下門外の変

 

しかし公武合体の象徴ともいえる将軍と和宮さんの結婚について朝廷の権威を幕府の政治に利用しようとする非常に問題のある行為と考えた人たちもいました。そのような考えを持った人たちの中の過激派が1862年の1月に信正公を襲撃しました。この事件は「坂下門外の変(さかしたもんがいのへん)」と呼ばれています。実行したのは元水戸藩士、6人でした。この襲撃は信正公の護衛が多かったこともあって失敗に終わります。しかし信正公は負傷してしまいました。

この事件で背中を負傷した、つまり背中を向けて逃げたところを斬られたという点が武士の振る舞いとして不適切であると幕府内部で批判されたようです。他の問題でも批判されたようで同じ年の4月に信正公は失脚してしまいます。老中を辞めさせられました。

信正公は失脚しましたが幕府はその後も幕府中心の公武合体政策をすすめようとしました。しかしその後薩摩藩が幕府の政治に介入する動きを見せることとなります。

 

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桜田門外の変が発生したあと幕府のリーダーも変わり、幕府が強権をもって単独で政治を行うやり方から朝廷と幕府で協力して政治課題にあたるというやり方に変わりました。しかしそれでも結局は幕府のリーダーは過激派に襲撃されてしまいました。朝廷の意向を突っぱねても朝廷と融和しても結局は尊王攘夷派に攻撃されたのです。

尊王攘夷派は将軍と和宮さんが結婚したことについて朝廷を幕府の立て直しのために利用したと批判したようですが、尊王攘夷派の過激派にとっては朝廷を利用した云々というよりも公武合体して朝廷と幕府が協力関係になると幕府を倒して朝廷が中心となって政治を行い攘夷も行うという理想を実現することができなくなるというのが一番嫌な点だったのかもしれません。

幕府を立て直すために行動した信正公は襲撃に遭った被害者ですが老中を辞めさせられ隠居して謹慎するよう幕府から命じられました。本人にしてみれば不本意な結果でしょうし気の毒な気もします。この後信正公は磐城平藩のリーダーとして戊辰戦争(ぼしんせんそう)で新政府軍と戦うことにもなります。一般的にお殿様というと羨ましがられる身分だと思うのですが、この方の人生を見てみると大変なことの連続でとても羨ましがられる人生ではないなぁと感じました。激動期のリーダーはつらいですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

長井時庸(ときつね)さん関連記事「異なる藩論だった長州藩内でなぜ攘夷派が台頭したのか」はこちらです。

攘夷決行の結果に関連する記事「四国艦隊下関砲撃事件とは?事件の原因についても」はこちらです。

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