リットン調査団とは?出された理由や満州国についての見解も

リットン調査団とは

 

リットン調査団とは西暦1932年(昭和7年)1月に国際連盟によって結成された団体で、満州事変や満州国に関する調査を担当しました。調査団は様々な国の人物で構成されていました。団長はイギリス人のビクター・アレクサンダー・ジョージ・ロバート・リットンという人物です。インドの総督を務めた経歴を持っていました。他にはフランス陸軍の中将やイタリアの外交官、ドイツの国会議員、アメリカの陸軍少将も団員として名前を連ねていました。調査を観察する目的でオブザーバーという立場で日本の外交官である吉田伊三郎さんという方と中華民国の外交官も関わっていたようです。調査団は1932年の3月から6月まで、関係者から話を聞き現地等の調査をおこないました。調査団は同じ年の10月に調査団の報告書を公表することとなります。日本はこの調査団の報告書に反発する結果となりました。

 

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調査団が派遣された理由

 

1931年に日本の会社、南満州鉄道株式会社の保有する線路が爆破されるという柳条湖事件が発生してから関東州に駐留していた日本から派遣されていた軍隊、関東軍と満州地域を当時支配下に置いていた武装勢力、奉天軍閥(ほうてんぐんばつ)との武力衝突になり、これが満州事変となりました。この出来事が発生してから中華民国は国際連盟に日本側の行動に問題があると訴え国際連盟の総会を開くよう国際連盟に求めました。国際連盟は1920年に国際平和の維持を目的に誕生した国際機関です(1946年に解散しています)。国際連盟では総会が最も影響力の強い決定機関でした。総会決議は原則全会一致(みんな賛成)の場合に成立したようです。この総会を開催し中華民国が日本の行動を糾弾しようとしました。それに対し日本はこの時理事会という国際連盟の意思決定をするもう一つの会議で常にメンバーとなっている常任理事国だったのですが、満州地域の状況をよく調査してはどうかと国際連盟に提案しました。その結果国際連盟は「じゃあ調べてみましょうか。」ということで、問題解決のため調査団を結成し満州事変や1932年3月に誕生した国、満州国について調査することとなったわけです。

 

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満州国についての調査団の見解

 

報告書の中で満州国についての見解を調査団は述べています。結論として1931年9月の柳条湖事件以降、関東軍が奉天軍閥の支配していた満州地域の重要都市を次々に占領し、占領した後は地元の人々による地域の統治が再開されている。その後柳条湖事件以前には聞かれなかった満州地域の独立運動が日本軍による満州地域の様々な都市の占領で可能となった。関東軍や日本関係者が独立運動を計画し実行に移し、奉天軍閥の統治に反発していた満州民族など中国人とは異なる民族の人たちを利用した。様々な証拠から満州国建国を実現させた理由は多数あるものの、日本の軍隊と日本の役人の存在が無ければ満州国は建国されなかったと考える。よって満州国は自発的な独立運動によって誕生したとは考えられない。そのような内容を報告しています。また満州国内に多数の日本人の役人がいることも指摘していました。一方満州国の政策については自由主義的な内容でこのような政策は満州だけではなく中華民国の他の地域でも実施されるのが望ましいといった内容の評価もしています。ただ中国人は満州国政府を日本の手先と見ていて、彼らが満州国に対する支援のようなことはしていないと調査団は見なしていたようです。

 

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今回はリットン調査団について取りあげてみました。当時の日本にとって不満のある結論となってこの調査団の報告により国際連盟で日本にとって不都合な決議が出され、その後に日本は連盟を出ていくことになります。そのような重要な出来事の理由になったとも言われている報告書を提出した調査団の話なので調べてみることにしました。調べていて気になったのは、些細なことかもしれませんが当時のアメリカは国際連盟に入っていないのにちゃっかり調査団のメンバーにアメリカ人が入っているという点です。どのようないきさつでアメリカ人が入ることになったのかはよくわかりませんでしたが。メンバーの選定に関して何か議論はあったのでしょうか。報告書の中にある満州国に関する見立ての中で調査団は満州国が日本軍や日本の関係者による介入によって誕生したとか自発的に誕生した国家ではないといった評価をしていますが、否定しようのない話なのだろうなと感じました。ただ満州国政府の政策については評価する箇所もあり、満州民族の人がかつて存在した満州国を懐かしむような話があるのはこういったことが理由なのだろうなという気もします。関東軍主導の柳条湖事件のような謀略を起こさずに日本が租借していた地域や鉄道といった権益を守り通すいい方法って何かなかったんでしょうかね。奉天軍閥や中華民国が約束を破って南満州鉄道と並行する鉄道を敷いたりしていたという話も聞きます。そういったことを理由にして日本が中華民国を糾弾するため連盟に訴えたりすることはできなかったんでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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