華北分離工作とは?工作の目的や内閣の対応についても

華北分離工作とは

 

華北分離工作(かほくぶんりこうさく)とは日本の軍隊が中国大陸の華北と呼ばれる地域を当時の中華民国の大半を統治していた国民政府の支配から切り離すことを目的とした様々な働きかけ、介入のことです。この日本軍の工作は西暦1935年(昭和10年)からおこなわれたそうです。ここで使われている華北という言葉ですが中国大陸の現在の河北省(かほくしょう)や内モンゴル自治区の一部、山東省(さんとうしょう)や山西省(さんせいしょう)といった地域を指しています。河北省はいわゆる満州地域の南部にある遼寧省(りょうねいしょう)の南西の位置で接している地域です。重要都市の北京や天津を取り囲んでいる地域になります。山東省は中国大陸の大きな半島山東半島の存在する地域で河北省の南東側で接している地域です。山西省は中国大陸の内陸に存在する地域で河北省の西側で接している地域です。内モンゴル自治区の一部を加えこのような地域を合わせて華北と呼んでいたわけですがかなり広大な地域になります。工作の内容ですが、1935年に入り梅津-何応欽(うめづかおうきん)協定、土肥原-秦徳純(どいはらしんとくじゅん)協定といった約束が日本軍と国民政府勢力側の間で成立し河北省やチャハルと呼ばれる現在の内モンゴル自治区の一部にあたる地域から中華民国国民政府勢力を撤退させます。その後冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)という河北省の一部地域を統治する政権を誕生させました。この自治政府は河北省と満州国が接している地域を統治する政府です。政権誕生にあたり日本軍の関連機関が強力に支援したという指摘があります。

 

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工作の目的

 

このような国民政府勢力を一定地域から撤退、排除させるような動きを日本軍側がおこなった目的は治安の安定だったようです。満州地域が満州国となってから日本軍と中華民国国民政府勢力との間で1933年に塘沽協定(とうこきょうてい タンクーきょうてい)という約束が成立し万里の長城の南側の決められた地域から国民政府勢力は撤退することとなり日本と中華民国の間で大きな戦闘も起こらなくなりました。しかしその後塘沽協定の約束に違反し非武装地域に国民政府勢力が侵入することが1934年以降増加したのだそうです。国民政府勢力のこのような動きは華北地域を根拠地としておこなわれていたため日本軍側は国民政府勢力が協定違反をしにくくするために上で書いたような協定を更に結んで河北省など華北地域の一部から国民政府側を撤退させることとしました。華北分離工作は華北地域の鉄鉱石、石炭といった鉱山資源、生産される綿花を日本、満州国の経済発展のために活用することも目的の一つだったようです。

 

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内閣(日本政府)の対応

 

日本政府の動きとしては1935年10月、岡田啓介内閣の時に陸軍大臣から華北地域の自治を望む勢力を支援する提案が閣内の会議で出されたそうです。1936年の1月には岡田内閣は「北支処理要綱」という方針を中国大陸に駐屯している日本軍の司令官に指示しています。この方針は華北地域の民衆による自治を支援して地域を安定させて日本や満州国との関係を良くしお互いの福祉を増進させることを目的としていると謳っています。国民政府によって日本や満州国の利益に反するような政治をおこなわせないようにすることや満州国のような独立国になるためのはたらきかけはしないようにすることなどが方針の中で掲げられています。自治を支援することは推進しても独立国を作らせるようなことはしてはならないという歯止めをかけた内容にも見えます。その後広田弘毅内閣でも1936年8月に「第二次北支処理要綱」が出され華北の一部地域の自治を推進しようとしました。

 

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今回は華北分離工作について取りあげてみました。日中戦争が起こる前の日本と中華民国の状態はどのような感じであったのか調べたくこのテーマで記事を作ってみた次第です。日本軍側が更に中華民国に対し侵略の手を伸ばしてきたという見方をする人もいるでしょうし、治安を安定させる任務に就いていたわけだし協定に違反して非武装地域に侵入してくる国民政府側に問題があるから仕方ないよねという見方もあるかもしれません。満州領域内に限定してゲリラ活動を取り締まったり国民政府勢力が非武装地域に侵入した場合に迅速に対応する手段を講じるだけでとどめておくということは出来なかったんでしょうかね。私は軍事の事はよくわからないので専門家の意見は全く異なるかもしれませんが。華北分離工作をすると満州でのゲリラ活動もやりづらくなるかもしれませんし非武装地域に侵入するようなことも減るかもしれませんが、華北地域にまで介入すると相手としてはここで日本軍側の介入も終わるだろうとは思わないんじゃないでしょうか。そもそも満州国建国に中華民国が納得していないからこのように問題がややこしくなるんでしょうね。満州を中華民国から切り離すことが出来たことで当時の日本側は喜んだでしょうが、強引なことをやるとこういうしっぺ返しを食らい沈静化させづらくなるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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