第二次上海事変とは?大山中尉やドイツの関わりについても

第二次上海事変とは

 

第二次上海事変(だいにじしゃんはいじへん)とは西暦1937年(昭和12年)の8月に発生した日本軍と中華民国の軍隊との間での武力衝突です。1932年の1月に同じように上海で日本軍と中華民国軍との間で武力衝突した第一次上海事変が発生していますが、この時の戦闘は1932年3月の上旬で収まり、5月に停戦協定(上海停戦協定)が結ばれました。この協定で日本軍も中華民国の軍も一切の敵対行為をしないことや決められた場所まで両軍が撤収することが約束されました。その5年後の1937年8月12日に中華民国の軍隊が3万人、上海の日本人居留区を包囲する行動に出てきます。日本側は中華民国の軍の撤退を要求しましたが聞き入れる様子がありません。8月13日に中華民国軍が日本軍に対し攻撃してきました。銃による攻撃だったようです。日本軍側は軍の中央から戦闘を拡大させないよう指示されていたためしっかりとした反撃は出来なかったようです。同じ日の夜に中華民国軍は日本側に大規模な攻撃(砲撃など)をおこない本格的な武力衝突となってしまいました。中華民国側の攻撃について日本政府に連絡が入り戦闘の不拡大という方針を変更することとなります。日本側は陸軍の大規模な兵員を上海に派遣することとなっていましたが9月には陸軍の部隊を更に追加して派遣しています。11月に入り中華民国軍が上海から撤退し上海での戦闘が収束することとなりました。上海の戦闘に日本軍側が動員した兵員は約25万人で中華民国軍は約60万人にも上ったそうです。日本軍に約1万人もの戦死者が出てしまうこととなりました。

 

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ドイツの関わりについて

 

この第二次上海事変の戦闘にあたってドイツの軍人、ファルケンハウゼンという人物が中華民国軍の軍事顧問を務めていました。中華民国とドイツは1910年代から軍事的な協力関係を結んでいたそうで中華民国軍隊の近代化にドイツは大変貢献したようです。ドイツの援助によって1935年以降中華民国の兵器製造施設の設備が改善され、それまでと比較し機能の高い兵器が作られていきました。またドイツの軍事顧問団からの提言で作られていた防御陣地(トーチカ)は強固だったそうで、日本軍の作戦を相当手間取らせたそうです。兵器製造設備、兵器、陣地だけではなく作戦に関してもドイツは中華民国軍にアドバイスしていました。第二次上海事変で日本はドイツによって強化された中華民国の軍隊と戦う羽目になっています。

 

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大山大尉の事件

 

第二次上海事変が発生する前に日本軍関係者が命を落とす、いたましい事件が発生しています。大山事件と言われているそうですが1937年の8月9日に上海に駐留している海軍の軍人である大山中尉(亡くなった後大尉に特進)と一等水兵の斎藤さん(亡くなった後三等兵曹に特進)が中華民国の治安維持担当者に殺害されてしまいました。通行が認められている通路を車で移動中に中国側の警備関係者に止められて銃撃を受け、数十発の銃弾を撃たれ命を落とされたそうです。この時大山中尉らは武器を携帯していなかったそうです。この出来事によって上海現地に駐屯する日本軍の緊張は高まり、陸軍の部隊を派遣することも8月12日には決定されたのだそうです。

 

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今回は第二次上海事変について取りあげてみました。大変規模の大きい戦闘だったようですし支那事変(日中戦争)の中でも有名な出来事の一つだったようですので調べてみることにしました。25万人の兵員を日本軍側が派遣したということを今回初めて知りましたが、ものすごい数ですよね。防衛省によると2017年3月で陸上自衛隊の自衛官数は約13万5000人だったそうです。この人数のおよそ2倍の兵員が上海で戦ったということになります。「事変」と聞くとあまり規模の大きくない戦闘のように私などは思ってしまいますが、これは大変大きな戦争といったほうがいいような気がします。ドイツが中華民国の後ろ盾のようなことをしていたこともこれまであまり知りませんでした。中華民国の国民政府は英国や米国ともつながりがありますしドイツが軍事支援しているというのですから日本にとっては不利ですよね。とはいってもこの事変についても先に手を出したのは全く日本側ではなくて中華民国側だということですから日本側が武力行使したのはやむを得ないことのように思います。いわれのない攻撃を受けて無抵抗なら日本軍側にどんどん犠牲者が出てしまいますから。停戦協定を破っているのは中華民国側ですがあまり国際社会は日本を擁護してくれなかったんでしょうかね。経過を見れば先に手を出して停戦を破ったのは中華民国側ですし、租界を持っている関係国の中から中華民国に対し強い批判が出てもおかしくないと思いますけれど。そのような他国の政府の動きは今回の出来事を調べていて目にしませんでした。日本が孤立していたということでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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