第二次国共合作とは?合作成立の理由や合作の崩壊についても

第二次国共合作とは

 

国共合作(こっきょうがっさく)とは中華民国の国民党勢力と共産党勢力が協力することを意味しています。第二次国共合作というのは西暦1937年の9月に成立した協力関係になります。1936年の12月に起きた西安事件(せいあんじけん)のあとは国民政府勢力と共産党の間で大きな戦闘は起きていなかったようですが、それまでは中国大陸で国民政府と共産党勢力が各地で戦っていました。もともと第一次国共合作という協力関係が以前は成立して国民党軍と共産勢力は同じ軍隊となって当時中国大陸に複数存在した軍閥と戦っていました。しかし各地で戦闘をおこなう中、共産勢力関係者が戦闘のおこなわれた地域で犯罪行為を繰り返し、現地の民衆や中国大陸内で生活していた他国の居留民が大勢被害に遭っていました。この事態を重く見たイギリスやアメリカなど諸外国は国民党勢力側に共産勢力との関係を解消するよう求め国民党側が同じ軍隊内にいた共産勢力関係者を排除する行動に出ます。こうして1924年に成立した第一次国共合作は1927年に崩壊しました。

スポンサーリンク

その後中華民国国内で戦ってきた国民党(国民政府)と共産党が10年後にまた手を結ぶこととなります。1937年9月に中華民国の共産党が国共合作に関する宣言を出し、国民政府側もリーダーの蒋介石が第二次国共合作に関する談話を出しています。共産党は三民主義(民族の独立、民主制の実現、人民の生活向上や経済的な平等)の実現や国民政府を倒すという方針、中華民国の民衆が所有する土地を共産党勢力が没収するという方針を取消すことや共産党勢力による政権(ソビエト政権)を取り消すこと、共産勢力の軍を国民政府の指導を受ける国民政府所属の軍隊に改めることを宣言しました。

 

第二次国共合作成立の理由

 

1937年の8月に上海で日本軍と中華民国の軍が武力衝突する第二次上海事変が発生しました。第二次国共合作成立の宣言はその翌月ですが、この8月の時点で国民政府は共産勢力の武装組織を国民政府に所属する軍隊とし部隊の責任者に共産勢力の指導者を任命しています。国民政府所属の軍隊となったことで元々戦っていた相手の国民政府から戦いに必要な物資が支援されることとなりました。7月に発生した盧溝橋事件以降共産勢力側から国共合作して協力して日本と戦おうという働きかけがそれまで以上に強くなっていましたが共産軍が国民政府に所属するような動きはその頃はまだなかったようです。第二次国共合作の話が一気に進んだことについては第二次上海事変という出来事が相当影響したと見ることが出来るのではないでしょうか。

 

スポンサーリンク

第二次国共合作の崩壊

 

1937年に成立した国共合作ですが、第二次世界大戦で日本が敗れた1945年にはこの協力関係が意味を持たなくなり、国共合作は崩壊。早々に中華民国内での内戦が再開されることとなりました。第二次国共合作成立以前は国民政府側が圧倒的に有利な戦況で共産勢力はあと少しで壊滅するところまで追いつめられていたようですが1945年の内戦再開時には共産勢力が日本軍から奪った武器を利用したり、ソビエト連邦からの支援を得るなどして国民政府側との戦いで優位に立つこととなりました。結果的に劣勢となった国民政府側は大陸から追い出される形となり台湾に拠点を移さざるを得なくなっていきます。

 

スポンサーリンク

今回は第二次国共合作について取りあげてみました。日本軍が戦う相手が内部分裂を起こしている状態と一致団結している場合とでは当然団結している方が手ごわいに決まっていますよね。中国大陸での戦いに決着がつかず長期化するわけですが、この第二次国共合作もその要因の一つなのかもしれないなと思い調べてみることにしました。国共合作以前大変追いつめられていた共産勢力側でしたがこの国共合作について国民政府側に呼びかけを繰り返すなど共産党側が大変積極的だったように感じます。しかし1945年の内戦再開で最初の戦闘となった時には最初に攻撃をしたのは共産党勢力側だったようです。しかもその戦闘が始まってしまったのが、国民政府側と共産勢力の間の和平を協議した結果出来上がった協定の調印日だったというのですからひどい話です。内戦は周知の通り共産勢力が優位に立って大陸を支配したのですし、こうしてみると国共合作は共産勢力に都合の良い協力関係というか共産勢力に利用された枠組みだったのかなという気がしました。内戦の大勢が決まった時に蒋介石はどう思ったでしょうね。国共合作を後悔したのでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

関連記事

ページ上部へ戻る