東亜新秩序とは?秩序建設を説く近衛首相の声明についても

東亜新秩序とは

 

東亜新秩序(とうあしんちつじょ)とは日本国、満州国、中華民国の三カ国が連携を深め、形成するべきだ、と日本政府によって主張された経済的な枠組み、経済ブロックのことです。西暦1938年(昭和13年)の11月に第一次近衛内閣の首相、近衛文麿が声明を出しますが、この声明の内容から東亜新秩序という標語が生まれたようです。日本が推進させたかったこの日本、満州、中華民国の枠組みというのは経済分野に限るものではなく共産主義勢力からの三カ国お互いの防衛や文化面での助け合いといった目的も含まれていました。日本が望んだ日本、満州、中華民国の三カ国で連携を深めていこうという考え方は第一次近衛内閣で初めて出来たものではなく、1933年には既にそのような連携を強める方針が政府内にはあったのだそうです。

 

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第二次近衛声明

 

1938年の11月3日におこなわれた近衛首相の声明は同じ年の1月に続く声明ということで第二次近衛声明と言われることもあります。また東亜新秩序(建設)声明と呼ばれることもあるようです。この声明の中で上記のように日本、満州、中華民国三カ国の連携強化を主張していますが、他にも支那事変(日中戦争)の目的は東アジアの安定のため、新秩序を建設するためですと、当時の中華民国国民政府との間の戦闘の理由として説明しています。また声明の中で日本と戦っている中華民国国民政府に対しこれまでの政策をすべて投げ捨て指導層の人材を変えて正しい組織となって日本の主張する東亜新秩序に参加したいというのであれば、そのような意向を日本は拒否しないと述べています。1月におこなわれた第一次近衛声明では中華民国国民政府を相手にはせず日本が提携可能な新しい中華民国の政権が出来て発展することを期待してその政府と国交の調整をして新しい中華民国の建設に協力したいといった内容を述べていました。またこの第一次声明の後におこなわれた補足の声明でも国民政府を相手にしないというのは国民政府を認めないというよりも強い意味を持っているとか国民政府を認めず、国民政府を抹殺するといった意味の内容が述べられました。このように第一次近衛声明とその補足声明の国民政府に対する姿勢と第二次近衛声明での国民政府に対する姿勢に大きな変化が出ていることがわかります。第二次近衛声明は支那事変(日中戦争)の目的として東亜の新秩序建設を主張しただけにとどまらず一時は日本側が抹殺するとまで言って否定した中華民国国民政府に関係改善を呼びかけた声明という側面もあるようです。

 

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アメリカの反応

 

第二次近衛声明で主張された東亜の新秩序に関してアメリカは反発したようです。日本に駐在していたアメリカ大使がこの東亜新秩序というものを従来中華民国内に存在していたアメリカ合衆国の権益を否定する枠組みなのではないかという疑いを持ったという意味の見解を述べていたそうですから、反発した理由はそういうことなのでしょう。その後米国は日本が戦っている相手、中華民国国民政府への支援を強めていくこととなったそうです。ただ第二次近衛声明の中で欧米の諸国をあからさまに排除するような内容は特に述べられてはいません。欧米諸国が日本の意図を正確に理解し東アジアの新しい情勢に適応するはずであることを信じて疑わない。同盟関係にある諸国が親しい関係を結んでくれたことについて深く感謝している。といった意味の内容が述べられています。

 

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今回は東亜新秩序と有名な言葉となったきっかけである第二次近衛声明について一部取りあげてみました。中華民国国民政府との間の戦闘の目的と位置付けられた考え方のようですし、結果的にアメリカの反発を招いて日本の対外的な立場を悪くしてしまった要因の一つと見ることもできるように思ったため調べてみることにしました。国民政府との戦闘は大きな戦闘となった第二次上海事変が1937年の8月でしたし日中対決の象徴的な事件としてよく言われる盧溝橋事件は1937年の7月ですから支那事変(日中戦争)の目的を1938年11月の第二次近衛声明で述べるというのは時期的に不自然な気がしました。ですから第二次声明で語られた戦闘の目的というのは「とってつけた目的」という印象が個人的にはしてしまいます。でも、日本が国民政府を相手にしないのではなく日本の考えに参加したいなら拒否しないという姿勢に変化したことはよい動きのように思いました。相手にしないのであれば国民政府との関係が良くなるはずもありませんから。ただアメリカが反発するんですよね。三カ国(日本、満州、中華民国)の関係を深めるということだけだったらアメリカからの強い反発を心配することもなかったのかもしれませんが、第二次近衛声明が出された11月には日本の外務大臣、有田八郎という人物が支那事変を理由にアメリカがかねてから主張し九カ国条約でも尊重されていた考え方である門戸開放、機会均等という方針を否定するような見解を対外的に示したそうです。外務大臣のような立場の人が中華民国に関して結ばれた国際的な約束である九カ国条約に違反するような発言をしたことはアメリカの対日姿勢の硬化に一層拍車をかけたのでしょう。中華民国と戦っている時に敵を増やしてどうするのでしょうか。そのような外務大臣の見解を加味して第二次近衛声明を解釈したのなら欧米諸国を排除する枠組みを日本が作ろうとしているとアメリカが疑うのも自然なのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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