1939年に発生したノモンハン事件とは?場所についても

ノモンハン事件が起きた場所

 

この出来事が起きた場所は満州国とモンゴル人民共和国の国境付近です。満州国の北西部ではソビエト連邦やモンゴル人民共和国と国境を接していました。モンゴルと満州の接する国境線の中に、モンゴルの領土が突出して満州国の領土が凹んでいる地域があります。この地域で事件は発生しました。近くをハルハ川というフルン湖という湖に流れ込む川が流れています。現在この地域は中華人民共和国の内モンゴル自治区となっており、自治区の北東部にあるフルンボイル市(ホロンバイルとも呼ばれるそうです)の中にあります。

 

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ノモンハン事件とは

 

ノモンハン事件は満州国とモンゴル人民共和国の間の国境が不明確であったことを理由とする両軍の戦闘がきっかけとなり満州国を支援する日本の軍隊である関東軍とモンゴル人民共和国を支援するソビエト連邦軍が武力衝突したという出来事です。西暦1939年(昭和14年)の5月に日本とソ連が戦い、一旦両軍は引いて戦闘も収束しましたが、6月に入りソ連軍は航空機爆撃や陸上部隊による満州国領内への侵入をおこなうなどして日本軍側との戦闘が再び激しくなりました。作戦指示を出す日本軍の中央はソ連との戦闘を拡大させない方針でしたので、現地の日本軍はモンゴル人民共和国の国境を越えて攻撃することを禁じられていました。しかし現地の日本軍である関東軍は中央の命令を徹底しなかったようです。関東軍が攻勢をかける時期やソ連側が攻勢をかける時期を経て両国の武力衝突は9月まで続くこととなり、双方とも多くの犠牲者が出る結果となります。日本軍側の死亡者数は少なくとも7720人以上、行方不明者が加わると8700人以上となるそうです。ソ連側の死亡者数は行方不明者も含めると9700人ほどの人数になり日本側を上回りました。この戦闘についてはソ連の戦車、戦闘機を多数使用した攻撃によって日本軍側は惨敗したという指摘もありますし、事実が隠されていただけで実際のところソ連側の被害は非常に大きかったという指摘もあります。

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9月15日にソ連駐在の日本大使とソ連の外務大臣が停戦協定に調印しこの武力衝突は収束することとなります。満州国とモンゴルの境は双方の軍が制圧している地域を基準にすることでさしあたって合意されました。第二次世界大戦が始まってソ連の態度が軟化したことで協定が成立したということのようです。事件収束後、日本陸軍では戦闘に関する検証がおこなわれソ連側の兵器などの装備が日本軍と比較し優れていたこと、車を多用し機動性に優れていたことなどが指摘され日本軍側の装備を速やかに向上させる必要があると判断されたそうです。しかし短期間で同水準に到達することは困難であるとも考えられていたようで当時の陸軍は対応に苦慮しました。ソ連がそれ程軍備を増強させることが出来たのは、スターリンによる独裁体制のもとで多くのソ連国民にしわ寄せのいく形での相当強引な経済計画を実行させたからだそうです。五か年計画などという計画を立ててソ連国内の工業化を推進させたようですが、国民に強制労働をさせるような形で犠牲を払わせた結果成り立っていたもののようです。

 

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今回はノモンハン事件の一部を取りあげてみました。張鼓峰事件と同様、支那事変中に他の国であるソ連と事を構えた出来事ですし、一部では日本が大敗したという指摘もある話なようなので、なぜそのようなことになったのか知りたい気持ちもあり調べてみることにしました。軍事力を整備するために戦前の軍部は相当力を入れていたような印象が強かったのですが、当時のソビエト連邦はそんな日本を上回るほど性能の高い装備を整えていたというのですから、国家予算の相当な割合を軍事費にまわしていたのでしょう。仮想敵国のソビエトが強敵であったことがわかり当時の陸軍中央は慌てたでしょうね。本当なら中華民国との戦闘など続けている場合ではなく、兵器の近代化に力を入れたほうが良さそうに感じます。かといってソ連のように国民を犠牲にして多くの死者を出しながら工業の発展を目指すなどということは出来ませんよね。それじゃあ何の為の発展かわかりませんから。そういった意味でソ連という国は本当に恐いと感じますし、そんな国が新たに出来た場合周辺の普通の国はどのように対抗したらよいのかなと考えてしまいます。普段から備えをしていないと軍事力なんて急に整えられないでしょうね。一部の平和主義者である国民からひんしゅくを買われようともやはり軍事費(防衛費)は一定程度確保しなければならないよなぁとこの出来事を調べていて感じました。日本軍の中央が不拡大方針をとる中、現地の関東軍が命令を無視する形でソ連に攻撃するようなこともこの事件ではあったようですが、軍中央の命令通りに関東軍が動いていたら大規模な衝突にはならないで済んだのでしょうか。この点はよくわかりませんでした。いずれにせよ軍中央の指示に従わず関東軍が勝手に動くというのも恐ろしい話ではあります。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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