勤労動員と学徒動員の違いは何なのでしょうか

勤労動員と学徒動員の違い

 

勤労動員(きんろうどういん)というのは働き盛りの男性の方々が兵員として出征したことによる日本国内の労働力の不足を補うため、日本国が国民に対し工場や農地などで労働力を提供するよう義務付ける政策のことです。学徒動員(がくとどういん)というのは学徒勤労動員(がくときんろうどういん)とも呼ばれており高等教育を受けている学生さんたちや中等教育をはじめとする教育機関に在籍している生徒さんたちに勤労動員をかける政策のことです。ですので学徒動員というのは勤労動員に含まれることになります。労働力として駆り出される対象者は時期によっても異なりますが、勤労動員の場合西暦1945年(昭和20年)の日本では重篤な心身の障害を持っていなければ12歳以上60歳未満の男性、40歳未満の女性は労働力を提供するべきとされていました。かなりの世代を対象としていたわけです。

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学徒動員の対象者は1944年に閣議決定された学徒動員実施要項によると国民学校高等科の生徒さん(国民学校高等科は年齢でいうと大半が12歳、13歳の人たちになります)や中等学校の生徒さん(現在の高等学校の生徒さん達と同じ世代の方々です)、高等女学校の生徒さん(高等女学校に通う生徒さんたちは中等学校に通う生徒さん達とほぼ同じ世代です)、実業学校の生徒さん(工業学校や商業学校、農学校に通う生徒さん達でこういった学校に通う生徒さん達も中等学校や高等女学校に通う生徒さん達と同じ世代です)、大学や専門学校(専門学校(旧制)は戦前の高等教育機関です。中等学校や高等女学校を卒業した人が進学するような学校で、3年間以上学ぶことになるようです)の学生さんは労働力提供の義務があるとされています。ですから要綱によれば学徒動員対象は12歳以上の生徒さん達から大学に通う22歳くらい(大学、専門学校の学生さんに関しては年齢に幅は出てくることが考えられますがここでは大体の年齢として22歳を挙げています)の学生さんまでとなっていたということになります。以上のように勤労動員と学徒動員では労働が義務付けられる対象者の年代に違いが見られます。勤労動員の場合、男性は12歳以上60歳未満、女性の場合12歳以上40歳未満の方々が対象であり、学徒動員の場合は12歳以上の生徒たちから大学の学生さんたち(大学に通う学生さんたちの場合年齢がいっている人でも大半は20代前半でしょう)が対象になります。学徒動員対象者は勤労動員対象者の範囲にすっぽり収まることになります。勤労動員も学徒動員も従事する仕事は軍需工場での作業や農地での作業が多かったようで、仕事の内容に目立った違いは無かったようです。中等学校の生徒さん以上になると建設現場での仕事や輸送の仕事などをおこなう場合もありました。

 

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学徒動員の変化

 

1938年頃は生徒さんや学生さんは長い休暇中に3日から5日程度の労働をするよう定められたそうです。1941年には30日以内なら農作業などの労働が学校の授業として認められることとなり、作業日数が増加することになりました。1943年には学徒戦時動員体制確立要綱というものが政府で作られ、学徒の方々にさらに労働力を提供させることとなります。この年から本来の授業期間の三分の一を労働従事に振り分けてもよいこととなり、一気に労働する期間が増加しています。1944年以降は一年を通して労働することも許可されることになったようです。6、7年の間で労働力を提供しなければならない期間が激増しました。

 

国家総動員法

 

このような労働力提供が義務付けられるにあたって様々な法令が出されていたようです。名前だけ挙げますが、国民勤労動員令とか学徒勤労動員令とか国民勤労報国協力令とか国民徴用令などなど複数ありました。このような法令を作ることの出来る根拠となったのは「国家総動員法」という1938年に成立した法律でした。日本社会の資源を効率よく活用するために様々な分野の物資、人材、資本などをコントロールすることが可能になる法律です。この法律の誕生によって、本来は帝国議会で十分議論して新たな法律を作るという過程を経なければならなかった規則が、議会での審議をすることなく時の政府によって勅令ちょくれい、天皇のお名前によって出す法令という形でどんどん作られるようになっていきました。

 

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今回は勤労動員、学徒動員などについて取りあげました。日本の社会が労働力不足となっていたこと、切羽詰まっていたことがわかる話ですよね。こういう政策をとらなければならない時点でもう戦争の勝負はついてしまっていたということなのかもしれません。学徒出陣もそうですが、学徒動員、勤労動員を強化する以前に終戦に持っていくことが出来なかったものなのだろうかと考えてしまいます。軍需工場での慣れない作業などで体をこわす方々もおられたそうですし、軍需工場は空襲による攻撃対象になりましたから命を落とす危険性が増してしまいますし、実際犠牲になった方々もたくさんおられます。戦場で亡くなられた学生さんたちもたくさんおられますし。傷口を大きくしない判断、的確な時期に方針を転換することが出来ていれば犠牲になった方々の数も違うものになっていたかもしれません。政府指導者の責任は本当に重大ですね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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