ジンバブエではなぜインフレが進行してしまったのでしょう

ジンバブエでなぜインフレが進んだのでしょう

 

現在は以前世界中が驚いたような物価の上昇は起こっていないようですが、アフリカ大陸の国ジンバブエ共和国ではかつてすさまじいインフレ(インフレーション、物価が上昇してお金の価値が低下する現象のことです)となっていました。西暦2008年にジンバブエの政府が発表した物価上昇率、インフレ率は年率で2億3000万%だったのだそうです。物価上昇率が年率100%の場合一年で物価が倍になったということになりますけれど、2億3000万%ということは一年後の物価が約2億3000万倍ということで全然想像が出来ない(想像できないのは私だけでしょうか)程度になってしまいます。一体何が起きるとこんなインフレ状態になってしまうのでしょう。ジンバブエのインフレ進行の理由としてよく言われるのはジンバブエが1980年に独立する以前から国内で生活していた白人の人たちの所有する広大な土地を強制的にアフリカ系の人たちに分配するような政策や、非常に強引な商品価格に関する政府の政策です。白人の人々からの土地の強制的な取り上げですが、これは2000年頃から始まった政策だったそうです。それまで広大な土地を持っていた白人の人たちはその土地で農産物を栽培し、その農産物をジンバブエ国民が消費したり国外に輸出してお金儲けをしていました。政府が白人の人たちから土地を奪うことで白人の人々は農業を継続することが困難となりジンバブエを去る事例も多かったようです。

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農業技術を持った白人の人たちが農業生産に関与しなくなった後アフリカ系の人たちが同じように農業生産を出来るのなら良かったのですが、アフリカ系の方たちではうまく農産物を栽培出来なかったようで、農産物の生産が減少しました。国民が食べる食料の供給がうまくいかなくなります。みんなが食料を求める中、食料が少なければ食料の価格は上昇しますよね。また、貴重な輸出産品であった農産物が減ったことでジンバブエは他の国に売る商品が減ってしまいました。他国との商売が以前に比べ上手くいかなくなりジンバブエ政府の他国の通貨(アメリカドルなど)の蓄え、外貨準備高も減少しました。機械をたくさん輸入して様々な分野の産業に導入し効率化させたいところですが、政府の外貨準備高が乏しいと信用のある他国の通貨で他国への支払いをおこなうのも難しくなるので輸入もしにくくなります。ジンバブエ国内の物資の生産能力が低下することで国民の需要に応えづらくなり、様々な物の値段が上昇してしまいました。物価の上昇を政府としても何とか解決したいと考えました。そうした事情で先ほど挙げたもう一つの理由、商品価格に関する政策をおこないます。2007年に始まった政策ですが、これは国内の全ての商品やサービスの価格をそれまでの価格の半額にしなさいという無茶な内容でした。この政府の命令を忠実に守った場合、物やサービスの生産にかかる経費が物やサービスを販売、提供して得られる儲けに比べて上回ってしまうことになり多くの会社が赤字になってしまいます。しかし政府の命令を守らないことで罰金を科せられたり逮捕されてしまう人も出てしまいました。逮捕されるのも困る、でも物やサービスを半額で提供するのも無理ということで多くの会社が営業活動を継続出来なくなってしまいました。これによりジンバブエ国内の物不足は一層深刻になってしまいます。物を作ったり販売する人たちが仕事をしたくても出来なくなってしまったのですから。

 

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他の要因

 

業種によっては適用されたのが物凄いインフレが収束した後である2012年頃だったようですけれど、政府は2007年に外国系の会社は発行する株の半分以上をジンバブエのアフリカ系の人々に譲渡しなければならないという法律を定めたのだそうです。市場の仕組みを無視するような法律のため、この規則を守っていては経営が困難ということでジンバブエを去る外国企業も出てしまい、ジンバブエ国内で物やサービスを提供する担い手がさらに減ってしまうことになりました。今回挙げた3つの政策に代表されるような政府の方針によって物やサービスの不足が深刻になり、物の価格が上昇し激しいインフレになってしまったということのようです。

 

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今回はジンバブエのインフレについて取りあげました。昨年の11月にこの国で政変が起こって30年以上首相や大統領の立場にあった人物が権力の座を降りたという話がありましたが、この国と言えば激しいインフレが非常に有名なので、なぜそんな経済状態になったのか確認したくこのような記事を作った次第です。物価の大変な上昇でジンバブエの社会は混乱して国民の平均寿命も大幅に短くなってしまったなどという話もありました(60代だった平均寿命が30代へ・・・)。しかし大統領を辞めた人物は白人の人たちから土地を奪う政策をおこなう前は非常にうまく国を治めていたそうです。白人の人たちと地元のアフリカ系の人たちの融和政策を進め白人の人たちの生産活動も阻害されず経済も安定していたのだとか。それを白人から土地を奪う政策に転じたのはアフリカのコンゴという国にジンバブエが派兵することで経済的な負担が強まってしまったことが関係しているという指摘があるようです。コンゴでの戦争に介入した後ジンバブエでは公共料金などがとても値上がりしたそうです。暴動も起きたりしたらしく、そのような国民の不満を解消するために出てきた政策が白人からの土地の収奪だった、そう見る意見もあるようです。ジンバブエがわざわざコンゴという国の戦争に介入したのはダイヤモンドの利権が欲しかったからという話もあります(コンゴの政権が戦争に協力したらコンゴ国内のダイヤモンド鉱山の利権を提供するとジンバブエ政府に提示)。欲に目がくらんで介入しなくてもいい戦争に参加してしまうとせっかく順調だった国家経済もひどいことになってしまう、そういうことなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

インフレやデフレが関わってくる話「経済のニュースで出てくる『リフレ』という用語の意味は?」はこちらです。

デフレーションでひどいことになった話に触れている記事「松方財政とは?この経済政策が行われた背景や影響について」はこちらです。

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