日本は変動為替相場制にいつ、どうして移行したのでしょう

日本は変動為替相場制にいつ移行したのでしょう

 

変動為替相場制(へんどうかわせそうばせい)というのは現在の日本の仕組みがそうであるように、1ドル=105円とか1ドル=105円50銭(これらの数字はあくまで例えで示しているものです)といった日本の通貨「円えん」と他国の通貨の交換の比率を需要と供給にまかせて刻々と変動させるという仕組みのことを意味しています。反対に自国の通貨と他国の通貨の交換する比率を1ドル=100円(これもあくまで例えです)と決定してこの比率を変動させない仕組みを固定為替相場制(こていかわせそうばせい)と言います。今日本は為替を変動為替相場制にしていますが、いつ現在の相場制に移行したのでしょう。第二次世界大戦以前も変動為替相場制の時代はありましたが、直近の固定為替相場制だった時代から変動為替相場制になったのがいつなのかということで言えば1970年代が移行した時期です。1ドル=360円という時代が戦後しばらく続いていたのですが、西暦1971年(昭和46年)の8月28日に変動為替相場制に移行することを日本政府は決定しています。しかしこの時の対応と言うのは一時的な事になるかもしれないものでした。

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それから時期が少し経過して同じ年の12月に国際的な会議がおこなわれて1ドル=308円にしようということで日米間の合意が成立しました。ただ1ドル=308円とは言ってもきっちり308円のままで交換するということではなくて、多少の幅を持たせる(上下2.25%の変動はいいよという内容)、多少の変動は許容するという取り決めでしたので完全な固定為替相場制ではありませんでした。しかし1973年には1ドル=~円を維持しようというような交換比率の枠組みは取り払われ、完全な変動為替相場制に移行することになりました。具体的な日付は1973年2月14日です。移行したその日の最初に成立した交換比率は1ドル=277円だったそうです。それ以降は基本的に現在の日本と同じような仕組みで経過しています。1973年からですと45年(2018年までで)経過していることになります。ということで戦後長らく1ドル=360円という固定相場制でしたが、それが変わったのは1971年8月28日で、その後国際的に固定相場にしようと試みられていたものの、それは難しいということで完全に変動為替相場制のままにしましょうということになってそれが実施された初日が1973年2月14日です。

 

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日本はどうして変動為替相場制に移行したのでしょう

 

1ドル=360円で交換比率を固定していたものを、わざわざ変動為替相場制に変更したのはどうしてなのでしょう。それはアメリカ合衆国の通貨「ドル」の価値が以前のように確かなものではなくなってしまったからです。固定為替相場制の時代、アメリカ政府は他国からの要望があれば自国の通貨「ドル」を一定の重さの金(きん)と交換することを保証していました。1ドルあたり888.671mgの純金と交換していたそうです。そういう時代が続いていたのですが、アメリカの都合で通貨ドルの紙幣を、アメリカが保有しドルと交換することが可能な金(きん)の量以上に発行してしまいました。当時のアメリカはベトナムの戦争に介入し、たくさんの物資を確保しなければならなかったという事情もあり軍事面で多額のお金を使わなければならない状態だったため、自国通貨をたくさん発行しなければなりませんでした。ベトナム戦争の前に起こった朝鮮戦争でも多額のお金を必要としました。軍事費関係だけではなくアメリカ国内の物の消費量が多くアメリカ国外から大量の物資を輸入する傾向が強まり、その支払いのためにドルを発行せざるを得ないという事情もあったようです。国内消費、軍事費でいっぱいドルを刷ってしまい金(きん)との交換が無理になったので、アメリカの大統領(当時はニクソンさんでした)が日本時間で1971年8月16日にドルと金(きん)の交換を一時停止しますと表明しました。多くのドル保有者が今までほどの価値は「ドル」にはもう無いと考え、ドルを持っていると損だということで売ろうとします。こういう状態になると1ドル=360円という固定した交換比率でドルと円の交換に応じていると価値が目減りしていく可能性が高いドルを世界中から売りつけられることになります。それほど価値の無い通貨、今後価値が下がってしまう可能性の高い通貨を価値がそれ程目減りしているわけではない自国通貨の「円」と交換し続け、日本国内に多額のドルを持ち続けると不良な資産を国内にどんどんため込んでしまうことになります。日本国にとって経済的に損なことになるので現状に合わせた比率で交換しようということで変動為替相場制に移行することになりました。それから1ドル=308円くらいで安定させようという取り組みが上でも書いた通りおこなわれはしたものの、ドルの価値に関する信用の低下を理由にまたドルがどんどん売られるようになって、もう1ドル=308円くらいでというのも無理ですねということで1973年2月14日に制限なしの変動為替になりました。

 

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今回は変動為替相場制への移行について一部取りあげました。ニュース番組の終わりに1ドル~円・・・銭、1ユーロ○○円△△銭という情報が流れるのが当然の世の中で長らく暮らしていると固定相場制の世の中というものは想像しにくく感じますが、貿易関係の企業、人々にとっては、それはそれで便利な世の中だったのかもしれませんね。経営の計画が立てやすそうな気がします。1ドル=360円という枠組みで日本製品を輸出して儲けていた企業は変動為替相場制になったことで円高になったわけですから国外に輸出する製品が国外で割高になってしまい、国外で物が売れにくくなってしまいます。輸出でかなりのお金を稼いでいた日本にとってつらい側面があったことは間違いないでしょう。原料を安く輸入できるようになる利点、輸入品が安く手に入る利点もあったでしょうから悪い事ばかりではなかったのだろうとは思いますが。当時の日本社会の経済に大きな影響を与えた話だと思うので今回このようなテーマにしてみました。経済的に物凄く強い超大国であってもいつまでも同じような条件が続くわけではない、超大国の状況が変化すると各国もその影響を強く受ける、ということがこの変動為替相場制への移行という出来事でよく示されているような気がしました。超大国の盛衰による影響というのは経済に限らず軍事でも似たようなことが言えるのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の話よりずっと前の、為替が関係する出来事に触れている記事「1930年の金解禁とは?その目的や解禁後の影響についても」はこちらです。

金と銀の交換比率について少し触れている話「日米修好通商条約後の貿易品の内容や貿易の影響について」はこちらです。

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