第一次石油危機は日本にどのように影響したのでしょう

第一次石油危機による日本の影響

 

第一次石油危機(だいいちじせきゆきき)は西暦1973年(昭和48年)に発生しました。発端は中近東の戦争です。1973年10月6日にエジプトとシリア、二つのアラブ民族の国がイスラエルに占領されていた地域を奪い返すため、イスラエルに対し攻撃をおこない第四次中東戦争という戦争が始まりました。中東地域で石油を産出する多くの国々はアラブ民族系の国々でイスラエルと戦うエジプトやシリアの側に立ち、イスラエルを支持する国には石油を輸出しないとか、石油の価格を引き上げることによって石油輸入国に対し圧力をかけ第四次中東戦争をアラブ側の国々にとって望ましい状態で収束させようとしました。石油をたくさん輸入して国の産業を成り立たせている日本を含む国々はこの中近東の石油を輸出する国々の動向に大変振り回されてしまうことになります。日本はどのような影響を受けたのでしょう。日本国内の景気が悪くなりましたし、様々な物の値段が上昇してしまうことにもなりました。品不足にもなりました。エネルギーの節約が日本中で推奨されるようになりましたし、省エネルギーの技術が発展することにもつながりました。以上のようなことが日本の受けた影響として挙げられるかと思います。

 

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物の値段が上昇しました

 

この時産油国は石油の値段をまず1.7倍に引き上げ、その後も引き上げられた結果、以前の4倍くらいの価格になってしまいました。石油はエネルギーとして当然重要ですが、様々な物資を作る時の原料にもなります。そのためいろいろな分野の製造業で生産する物資の価格に石油価格の上昇分を反映させなければならなくなり、そのためいろいろな物品の価格が上昇する結果となりました。便乗値上げもされたという指摘があります。1973年11月の消費者物価は1972年(石油危機の起きていない年です)の11月に比べ15%くらい上昇し、1974年の2月には1973年の2月に比べ25%くらい上昇したそうです。

 

品不足にもなりました

 

石油資源が足りなくなると考えられたことや様々な物の値段がもっと高くなると考えられたことで買いだめや買い占め、売り惜しみが起きたのだそうです。そのためにトイレットペーパーが手に入りづらくなるといった現象が起きたことは大変有名です。他にも灯油や食材としての油、砂糖、塩、しょうゆ、洗剤といった日常生活で大変お世話になっている品物も不足しました。

 

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日本国内の景気が悪化しました

 

物価の深刻な上昇を抑えるために日本政府は公共事業の実施を延期するなど既に決められていた予算通りにお金を使うことを手控えるようになりました。緊縮財政の方向に動いたということですね。また中央銀行が民間銀行にお金を貸す時の金利、公定歩合(こうていぶあい)を物価の抑制を目的に日本銀行が引き上げました。公定歩合の引き上げによって国内での借金の金利は上昇するため金融機関から借金する件数が減少し世の中で物を消費する頻度が減少します。このように政府や中央銀行は経済政策によって世の中に出回るお金の量が減らし、物価の上昇、インフレーション傾向を抑えようとしました。こういった政策は世の中の消費活動を抑える方向にはたらくため、個人消費や企業の設備投資も減ることになり景気が悪くなりました。経済企画庁の出している2000年版の国民経済計算年報によりますと、1973年は国内総生産で見た日本の実質経済成長率が8%だったそうですが、1974年は-1%に落ち込む結果となっています。

 

節約の動き

 

石油が不足するという心配が世の中に広まりいろいろな場面でエネルギーの消費を節約しましょうという動きが見られました。夜間の看板の照明を付けなくなったり、テレビの深夜放送時間が短縮されたり、自家用車の使用を控えるようになったり、日曜日に営業を休むガソリンスタンドが増えたり、雑誌のページ数が減少したり、などなど、様々な節約の取り組みがありました。

 

省エネルギー技術の発展

 

資源の不足に対応するために、今までと同じ生産活動をより少ないエネルギーでおこなおうという取り組みが多くの企業でおこなわれることにつながりました。鉄を製造する過程で排出されるだけであった熱エネルギーを発電に利用するといった、物資を生産する中でのエネルギー消費の効率化が進んだり、断熱や家庭で使われる電化製品の効率向上が図られていくことになりました。

 

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今回は第一次石油危機(オイルショックや石油ショックとも呼ばれますが)で日本がどのような影響を受けたのか一部取りあげました。国内が相当混乱するきっかけとなった話のようですし、エネルギーというものが社会にとってどれくらい重要なものなのかを示す良い例だとも思ったのでこのテーマで記事にしてみました。普通であれば小売店に行けば販売されている品々が石油危機によって姿を消すというのは確かに人を不安にさせますよね。私はこの時のことを全く知りませんが、いつだったか日本で米の収穫が減り東南アジアからたくさんお米を輸入してしのいだ時期があったことを思い出しました。あの時はとてもお世話になっていたお米の加工食品、ピラフやドライカレーの冷凍食品がスーパーで全く手に入らなくなってしまって困ったんですよね。私のこんな体験は石油危機の時の主婦の方々の困惑度合いに比べれば些細なものなのでしょうけれど。トイレットペーパーや調味料が手に入らなくなったら確かに困りますよね。他国にある程度依存しなければ今の日本社会は成り立たないのでしょうけれど、依存度を低下させることによって必要な物資が輸入されなくなった時の混乱の程度も軽減しそうなものです。食料だけではなくエネルギーについてもいざという時の備えが必要なのでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

使用するエネルギー資源が変化していったことに触れている話「エネルギー革命が日本に及ぼした影響は何だったのでしょう」はこちらです。

政府が石油と異なるエネルギーに注目していた事に触れている話「1960年代日本政府が原子力発電を推進した理由は?」はこちらです。

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