自衛隊がPKOの為に最初に国外派遣されたのはいつでしょう

最初に自衛隊がPKOに派遣されたのは

 

日本の自衛隊がPKO(eaceeeping perations 国連平和維持活動と日本では表現されることが多いです。)を目的に他国に派遣されるという事例が現在に至るまで複数実施されていて、南スーダンでは自衛隊部隊の派遣は2017年に終了したものの、リスクのある中、少数の自衛隊の方々が現在も南スーダンで現地の司令部のもとで任務に励んでおられます。このように現在までおこなわれてきている自衛隊によるPKOへの協力ですけれども、自衛隊が国連のPKOを目的に最初に海外に派遣されたのはいつだったのでしょう。最初に日本の自衛隊が国連PKOのために海外へ派遣されたのは西暦1992年9月17日です。行先は東南アジアのカンボジアでした。当時カンボジア地域を国際連合カンボジア暫定統治機構という国連に属する組織が統治していたのですが、その組織のもとでPKOの業務に協力するため自衛隊の部隊が派遣されています。国連が介入する以前はカンボジアの複数の勢力の間で戦闘がおこなわれていた状態が続きましたが、パリ和平協定という停戦の約束が取り交わされ、その後国連が間に入りカンボジアを統治していました。内戦の過程で多くのカンボジアの方々が犠牲になっています。派遣された自衛隊の部隊は第1次、第2次の二つがあって1993年の4月に第1次派遣大隊から第2次派遣大隊に任務を交代しています。第2次派遣大隊が日本を出発したのは1993年の3月29日でした。このようにカンボジアの任務のために1992年の9月以降順次日本から自衛隊の部隊が派遣されたわけですが、PKO目的での一番最初の海外への部隊派遣は以上の通り1992年9月17日です。現地での任務が始まったのは1992年の10月28日からでした。自衛隊の部隊は現地で道路などの修理やカンボジア地域を統治している組織にとって必要な物資を供給、輸送する任務を担当されていました。

 

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PKO目的で日本が要員を派遣した最初の任務は別の事例でした

 

自衛隊がPKOのために最初に派遣されたのは上で書いた通り、1992年の9月で、10月から任務が始まりましたが、同じ年1992年の9月にPKOの別の任務で日本政府は日本人を海外に派遣しています。ただ、この時に派遣している方々は自衛隊の方々ではありませんでした。国家公務員のかた1名、自治体の公務員のかた1名、民間企業のかた1名、合計3名の方々が派遣されています。派遣された先はカンボジアではなくアフリカの南西部にあるアンゴラという国でした。現地でおこなわれることになっていた大統領選挙などのアンゴラにとって極めて重要な選挙が正しく実施されているかを監視する必要があったそうです。その監視活動に日本が協力するため、3名の方々が派遣されていました。アンゴラでの選挙は9月29日、30日におこなわれています。こちらの任務がカンボジアでの自衛隊の任務よりも早く始まりました。

 

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自衛隊を派遣出来るようにするのは大変だったようです

 

自衛隊を国連のPKO活動のために国外に派遣するためには、その根拠となる新しい法律を作らなければならなかったそうです。その法律案を日本政府が提出した時の国会では法律案に反対する野党側(日本社会党や日本共産党など)の抵抗が大変強く、法律として認められるまでにかなり時間を割かなければならなくなりました。のろのろ歩いて議事の進行を遅らせる牛歩戦術などは当時大変有名になりました。国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律という通称「PKO協力法」とも呼ばれる法律が国会で承認されたのは1992年の6月15日です。自衛隊の部隊がカンボジアに派遣され始める3か月前の話でした。

 

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今回は最初にPKOで派遣された自衛隊について一部取りあげました。国連の指示のもととは言え自衛隊が海外へ派遣されるのは、場合によっては海外で自衛隊が武力行使することにつながりかねないから、こんなこと許しちゃいかんという反発が世間の一部ではとても強かったようです。湾岸戦争が停戦になった後に海上自衛隊がペルシャ湾に派遣されて海上の機雷を除去するという掃海(そうかい)作業をおこなった事例が既にありましたが、国連の任務で自衛隊が他国に派遣されるという節目の出来事でしたので、今回記事にしてみました。見方によっては憲法上存在が疑問視される実力組織が海外に派遣されるということで、一部の政治勢力が軍国主義の復活だと見なし根拠となる法律に強く反対していました。当時の私は一部の野党が言っていることが本当なのか、自衛隊の派遣は危ないことなのか正直よくわかりませんでした。ただ現在の私の立場ですと、当時の日本社会党や日本共産党が言っていた軍国主義の復活という見解には同意できない感じがします。国連という組織の指示のもとに日本国に所属する実力組織が国外で活動するのがどうして軍国主義につながるのでしょう。国連の指示のもとにあるのであれば、むしろ国連のコントロール下にあるということですから自衛隊が勝手な活動をする環境にはない、ということになるのではないでしょうか。自国の軍備を増強することが最も優先されるべきだ、国内社会のあらゆる分野を自国の軍備増強に協力させるべきだといった思想である軍国主義と接点て、あるでしょうかね。自国の軍備を、自国の軍備を、とひたすら自分の力を強化しようという軍国主義と違って、このようなPKOといった形での国連への協力はむしろ国連に加盟しているたくさんの国々との協調を意味するようにも私には感じますが、どうなのでしょう。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

自衛隊が国外へ派遣された他の出来事に触れている話「湾岸戦争の時に日本政府はどのような対応をしたのでしょうか」はこちらです。

日本の実力組織・自衛隊が誕生するまでの経過について触れている話「自衛隊が発足するまでにはどのような経緯があったのでしょう」はこちらです。

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