政権交代が2009年に起きた理由は何だったのでしょう

2009年に政権交代となった理由

 

西暦2009年(平成21年)の7月に当時の政権の判断で衆議院が解散され、8月30日に衆議院議員総選挙が実施されました。与党側の予想に反し選挙は当時野党であった民主党の勝利となっています。衆議院全体の議席480議席のうち民主党は308議席を獲得し第一党となります。二番目の勢力は自由民主党で119議席でした。民主党と自由民主党の議席を比較すると2.5倍以上です。衆議院全体の64%の議席を民主党が占める結果となりました。1993年~1994年の短い間、自由民主党が政権から離れる時期は確かにあったものの1950年代からずっと政権に関わっていた自由民主党が野党にこれくらい負けることはなかったため大きな出来事として世の中から取りあげられることとなりました。この時期に自由民主党を与党とする政権が選挙で大敗を喫する結果となった理由は何だったのでしょう。2009年の総選挙の時有権者が野党の民主党に投票したからと言われれば身も蓋もありませんが、なぜ民主党に票が集まったかという理由として選挙までの数年間の政権が安定していなかったことや、2009年の総選挙で民主党の掲げた争点が有権者を引きつけたこと、日本経済の状態があまり良くなかったことなどが多く指摘されているようです。

 

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政権が頻繁に変わっていました

 

小泉純一郎という人が首相を担当した小泉内閣は2001年の4月から2006年の9月まで続きました。5年以上続く長期政権だったのですが、その後の安倍晋三という人が首相を務めた安倍内閣、福田康夫という人が首相を務めた福田内閣の場合は1年間くらいしか政権が続きませんでした。2006年10月以降の自由民主党政権は不安定だったわけです。福田さんの次の政権、麻生太郎さんという人が首相を務めた麻生内閣も2009年の総選挙で敗れた結果、政権担当期間は1年間程度ということになりました。安倍内閣が退陣した理由は首相である安倍さんの健康問題でした。福田内閣の場合、一緒に政権を支えている公明党や自由民主党の内部から福田内閣の支持率の低さを理由に衆議院議員の任期が満了し総選挙となる前に与党側の支持率を上昇させる他の人物に首相を担当させようという動きが強まりました。国民生活のため新しい政権を作って政策を実現させていく必要があるといった内容を説明して福田内閣は退陣することとなります。やむを得ない事情ではあったのでしょうが結果的に政権が続かなかったことで与党に対する国民の期待感、信頼感は低下した。そういった見方が多いようです。

 

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選挙のスローガン(標語)

 

2009年の総選挙では民主党が政権交代を実現するための選挙と主張し、有権者に対し政権を担当する政党を自民党、公明党といった政党から民主党に変えて新しい政治を実現しようと訴えたようです。有権者は政権交代にかなり期待したそうで民主党を支持するというよりも、とにかく自由民主党、公明党の連立政権を他の政党による政権に変えたいという人が多かったなどという指摘もあるようです。政権交代を打ち出す民主党に対し自由民主党、公明党の主張する争点は有権者の多くを引き付けるには至らなかったようです。ちなみに2009年の総選挙での自由民主党のスローガンは「日本を守る、責任力」でした。政権を担う重責は自由民主党、公明党の連立政権しか担えませんよということを訴えたかったのでしょう。当時の民主党のスローガンは「政権交代」の他に「国民の生活が第一」というものもありました。

 

経済状況

 

2008年の9月以降世界的にリーマンショックと呼ばれるアメリカ有数の金融機関が破たんしたことをきっかけに広がった経済的な混乱で約一年弱経過していた2009年の8月時点でも日本国内では株価が低迷していました。また日本の経済成長率が2008年度は-3.5%にまで落ち込む結果となっています。日本の経済状態をよくしてほしいと多くの国民が望んでいましたが当時の自由民主党、公明党連立政権は給付金などの政策を実施していましたけれど、景気回復を期待する有権者の期待に応えきれていなかった、そのような指摘もあるようです。

 

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今回は2009年夏の政権の交代について一部取りあげました。2009年の出来事を記事にしたかったのですが、この年の出来事としてやはり政権交代したことは外せないのではないでしょうか。この出来事、もう10年近く前の話ですが、自由民主党が大負けするなどということはそれまでなかったため大騒ぎとなっていたことはよく覚えています。1996年当時の安倍内閣は健康問題が関わりますので別にするとしても、同じ自由民主党、公明党の政権でも小泉内閣と福田内閣でなぜ党内や世論の支持に大きな違いが出たのでしょうね。政策にそれほど大きな違いってあったのでしょうか。小泉内閣の時代(2001年~2006年)、上でも少し触れた経済成長率については0.9%~1.4%という水準でした。マイナス成長の年はありません。多くの国民にとって不景気よりも好景気のほうがいいに決まっていますから世の中が不景気だった2009年というタイミングでの選挙というのは政権側にとっては相当なハンデになったのかもしれないなと個人的には感じました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

当時の日本の経済にも影響していた出来事に触れている話「リーマンショックは日本の株価にどう影響したのでしょう」はこちらです。

政権交代以前におこなわれた経済政策について触れている話「日本が量的緩和政策を実施したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

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