五榜の掲示とは?禁止された内容についても

五榜の掲示とは

 

西暦1868年4月(旧暦では慶応4年3月)に一般民衆に周知する目的で明治新政府が国内各地に木の札(ふだ)を設けました。その木の札には民衆に対する様々な指示が書かれていました。明治新政府が最初に出した、この一般民衆に対する指示書きされた札を五榜の掲示(ごぼうのけいじ)と言います。旧幕府側の立場をとった藩などでは掲示されなかったということもあったようです。

指示内容については江戸時代に出されていた幕府や諸藩からの命令と重複していました。ただ5年後には掲示された札がすべて取り除かれる結果となっています。取り除かれたことによって一部の指示内容が無効となったと受け止めた人たちが多く存在しました。

 

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五榜の掲示で定められていた禁止内容は

 

この五榜の掲示は一つの札に民衆に向けた全ての指示が書かれていたわけではなく、五つの札に一つずつ指示が書かれたものとなっていました。

それぞれの札に書かれていた内容ですが、一つ目の札では一般的な道徳を短い文章で示しています。人であるからには五倫の道を正しくしなさい。妻を亡くした夫や未亡人、親のいない子供、子供のいない高齢者や病気で苦しんでいる人がいたら慈愛の心をもって接しなさい。殺人、放火、窃盗などの悪事をするようなことの無いようにといった内容が書かれています。五倫の道というのは父親と子の間の親愛のある関係、仕えられる者と仕える者との間の慈愛のある関係、夫婦には異なった役割があるということ、年少者は年長者に従う関係、友人同士が互いに信頼をしている関係、この五つの儒教道徳から見て望ましい人間関係のあり方を指す言葉のようです。

二つ目の札では集団で協力して(徒党を組んで)良くないことを強引に要求したり、集団で住んでいる場所から立ち退く(逃散)のは許されない。もしそのような動きがあれば早急に役所に報告しなさい。報告した者には褒美を取らせる。という内容が書かれていました。集団で無理な要求(要求する対象は役所だったり商人だったり色々だったのでしょうか)をしたり勝手に住む場所を変えるなということですね。

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三つ目の札ではキリスト教、邪宗教を信仰することは固く禁止する。もし怪しいものがいるのなら、すぐに役所へ報告するように。褒美を取らせるとあります。キリスト教や明治政府から見て邪宗教となる他の宗教を禁止するということですね。

四つ目の札では、新政府は他国と付き合っていくこととしているので国際的な決まり事に従い他国との約束を守っていく方針である。そのため勘違いをして外国人を殺害したり、良からぬことを行う者は朝廷の命令に背き国の課題をより困難なものにしていることになる。他国から見た日本国の威信も傷がつくこととなり大変良くない。罪の内容によっては例え武士であっても武士の身分を取りあげ刑に処することとなる。朝廷の命令に背き勝手に暴行のようなことをしてはならない。という内容が書かれています。他国の人に危害を加えてはならないということですね。

五つ目の札では世の中に浮浪の者があってはならない。現在の時局を利用して勝手に武士や一般庶民が本国を離れることを固く禁じる。不法出国するような良くないことをするのはそのリーダーの責任である。身分の上下なく日本国のため、仕える主君のために外国に行くことを申し立てる者についてはそのような言論については許し公正な姿勢で対応し、考えている内容を述べて新政府の役所に申し出ることは出来る。農民、商人の奉公人はもちろん武士の奉公人も雇用する時は出身地をちゃんと確認するように。勝手に住んでいる所を離れたような者を雇用するようなことを行い、良からぬ出来事が起きる結果となった場合は雇用した主人の責任となる。といった内容が書かれています。不法に出国しないようにということと、勝手に住んでいるところを離れたような者を雇ってはならないということのようですね。※誤ったところがあるかと思いますがご了承ください。

 

ということで禁止された内容は常識的な犯罪行為をするなというのが一つ。集団による強引な要求や住んでいる場所から勝手に離れるようなことをするなというのが一つ。キリスト教や新政府が邪宗教と判断する宗教を信じるなというのが一つ。他国の人に危害を加えるなというのが一つ。勝手に出国するなというのが一つ。許可なく住んでいる場所を離れたような者を雇い入れるなというのが一つ。大まかには以上のようなことを禁止していたようです。

 

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今回は五榜の掲示を取りあげてみました。五榜の掲示は禁止令だという説明が一部でされているようですが道徳を説いている箇所もあったことは知りませんでした。五倫の道というのは耳慣れない言葉でしたが、その内容は以前取りあげた教育勅語の内容とも一部重なっているように思います。

新しい時代に入り一般庶民が「江戸幕府の掟が無効になったんだ!」と勘違いして好き勝手に行動し社会が混乱することを新政府が恐れたからこのような掲示をしたということなのかもしれません。

ただキリスト教を認めることは新政府の時代でも危険であると感じたからこそ禁止したのだと思いますが、どのような点で心配だったのか今一つ良くわかりませんでした。皇室を中心とする社会を目指していた当時の新政府にとって、キリスト教の神は日本社会の秩序を乱す要因に見えたということでしょうか。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載した写真に全く関係はありません。ご了承ください。

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