江華島事件とは?発生した年号やなぜ発生したのかについて

江華島事件とは

 

江華島事件(こうかとうじけん)とは朝鮮の江華島付近で武力衝突した出来事のことです。この江華島というのは朝鮮の地名で現在の韓国仁川(インチョン)市に存在する島のことです。この事件で武力衝突したのは日本と朝鮮でした。武力衝突は3日間で収束し、それ以降戦禍は拡大していません。両国間の協議は事件発生の翌年に行われました。

 

江華島事件が発生した年号は

 

江華島事件は西暦1875年(明治8年)9月20日に発生しています。征韓論が日本国内で強まったのは西暦1873年でした。それから2年後のこととなります。

 

スポンサーリンク

なぜ江華島事件が発生したのでしょうか

 

直接的な原因は朝鮮国側が江華島付近で測量を実施していた日本の艦船に向けて砲台から砲撃をおこなった事にあります。また朝鮮国の中心部に近い海域で日本艦船が測量を行い、朝鮮国側を刺激したことも理由の一つになるかと思います。ただその地域で測量を行ったり航路調査をすることが当時の国際的な規則上問題だったかどうかについてはよくわかりません。当時の規則上問題がなかったのであれば日本側による測量行為はただの権利行使にすぎませんので、日本側に非があるということにはならないと思います。(その後の日朝間の協議で朝鮮国の中心部に近い海域で測量していたことについて朝鮮側が日本を批判することはなかったようです。問題行為なら当然朝鮮国側が追及してくるのではないでしょうか。)

朝鮮国側からの砲撃が行われたことで日本側は反撃します。砲台を破壊し上陸した日本側が朝鮮側の拠点を破壊し武器を奪取し引き上げたそうです。

 

スポンサーリンク

江華島事件のその後

 

この武力衝突について日本と朝鮮間で協議が行われたのは翌年の西暦1876年(明治9年)になります。それまでの間日本も朝鮮側も相手国に武力侵攻するような方針は打ち出しませんでした。1876年に行われた協議では江華島事件について話し合われただけではなく朝鮮国の開国を含めた条約についても話し合われ、結局日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)という条約の締結にまで話が進む結果となりました。

 

今回は江華島事件を取りあげてみました。朝鮮国に対する明治政府の関わり方を知るうえで欠かせない出来事なのではないでしょうか。この出来事を調べてみても朝鮮国の中心部に近い海域で測量や海路調査することや水の確保をするために艦船からボートを出して陸地に近づいたことが当時の規則上どうであったのかはよくわかりませんでした。領海侵犯ということになるんでしょうかね。歴史専門家の人たちの中にはこれを朝鮮側に対する挑発であるとみなしている人たちもたくさんいるようです。確かに東京湾近くであまり関係のよくない国の艦船が測量名目で行き来したり飲料水確保のために陸地に近づいたら警戒するのは当然と言えば当然ではあります。でも朝鮮側も砲撃の前に日本側に警告を発したほうが良かったのではないでしょうか。日本側も反撃したからでしょうか、お互いが数日間散発的に攻撃する結果となったようです。

スポンサーリンク

挑発に乗って武力行使すると相手が強ければ後で損をするのは挑発に乗った方だったということになってしまうんですね。第二次世界大戦の時の日本は世界でも有数の軍事大国であったそうですが米国の軍備に比べれば劣っており、当時の日本軍の軍人の中でもアメリカと戦えば負けると分析していた人もいたようです。でもアメリカによる経済制裁という挑発に乗って日本は戦争し結果敗れてしまいました。挑発に乗らずにやり過ごすのは当事者になった場合相当難しいことなのでしょうか。

江華島事件の後に行われた日朝間の協議では条約が結ばれる結果となりましたが、これが朝鮮側にとって相当不利益な内容となったそうです。自国の歴史について誇りを持ちたいのは自然な話ですが、現在の私個人の視点からすると不平等な条約を朝鮮国との間で結んだことについては「そういうことしないほうがいいんじゃないの?」と思わずにはいられません。何でそういうことしますかね。日本が欧米列強との間で嫌だと思いつつも結んだ不平等条約のことを振り返れば、屈辱、つらさを知っているはずの日本なのですから。それをいかせなかったことは残念ですね。道義的なことよりも国防上の理由を優先したからこのような行動をとったということなのでしょうか。現在の視点で評価するのは適切ではないのかどうなのか、このような出来事を知った場合迷ってしまいます。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載した写真に関係はございません。ご了承ください。

朝鮮半島関連記事「韓国併合とは?併合の理由や韓国併合条約の内容についても」はこちらです。

朝鮮半島関連記事「閔妃殺害事件の背景とロシアを頼った高宗の事件後の動き」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る