明治十四年の政変とは?発生理由や下野した一部の人について

明治十四年の政変とは

 

明治十四年の政変(めいじじゅうよねんのせいへん)は西暦1881年(明治14年)の10月に発生した出来事です。政府内で重要な立場にあった人たちの一部が強制的に職を追われることとなりました。この出来事を理由に下野(げや)したわけです。(下野とは政府の職を辞め、民間人になることを意味しています。)

この政変によって明治政府は薩摩藩出身の高官、長州藩出身の高官らが主導権を握る体制(薩長藩閥体制さっちょうはんばつたいせい)に変わっていくこととなりました。また、ドイツ帝国の中心となったプロイセン王国のように、君主に強い権限があることを定めている憲法として知られる大日本帝国憲法がその後制定されます。この政変によってどのような憲法を制定するかについての路線が定まることとなりました。

 

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明治十四年の政変が発生した理由

 

大隈重信という佐賀藩(肥前藩)出身の政府高官があまり根回しをすることなくイギリスの議院内閣制にならった議会制度や憲法の意見書を当時の左大臣に提出しました。このことで大隈さんの考えを知りイギリス流の議会や憲法の導入に反対の立場をとる他の政府高官が大隈さんに憲法制定や議会設立に関する主導権を奪われてしまわないか、と強く警戒し大隈さんと対立を深めることとなります。

また北方開拓を目的とした行政機関である「開拓使(かいたくし)」を民間企業に事業継続してもらった上で廃止するにあたり、開拓使の保有していた様々なものを民間企業に払い下げるという計画が当時政府内に存在していました。その払い下げの情報が新聞社に漏れてしまい、あまりにも安い条件で払い下げしようとしていると世論が強く反発する結果となりました。

この払い下げ計画に関し政府内の協議で大隈重信さんが反対していたいきさつもあり、政府内で大隈さんが新聞社にこの払い下げの情報を漏らしたという噂が広まり、「大隈は現在の政府を倒そうとしている」という疑念を政府高官らに持たれることとなりました。

このようなことが重なり、大隈重信さんと彼とつながりの強い役人の人たちを政府内から排除しようと他の政府高官が動き回ることとなりました。明治天皇も臨席された会議で大隈さんらを辞めさせることが決定されます。

 

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下野した人について

 

この政治事件を理由に政府からいなくなった、下野(げや)したかたは大隈さんだけではありませんでした。下野した方々の中で有名かなと思ったかたは、例えば前島密(まえじまひそか)さん、尾崎行雄(おざきゆきお)さん、犬養毅(いぬかいつよし)さんといった方々です。そうそうたる顔ぶれなので大変意外でした。

前島密さんは日本に郵便制度を作る必要があることを明治新政府に申し立て、同制度を確立するにあたり大変貢献された方として知られています。現在の新潟県上越市出身の方です。

尾崎行雄さんは後に「憲政の神様」と呼ばれるようになったかたです。西暦1890年から第二次世界大戦後までという、とんでもなく大変長い期間、衆議院議員を務められることとなります。

犬養毅さんもその後西暦1890年(明治23年)から政治家として活躍され、西暦1931年(昭和6年)には内閣総理大臣を務めることとなります。西暦1932年に海軍将校らの一団によって犬養さんが暗殺されてしまう「五・一五事件」は大変有名な事件です。

 

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今回は明治十四年の政変を取りあげてみました。開拓使官有物払い下げ事件も前回の記事で取りあげているため、かなり内容が重複する項目かなとも思いましたが、大隈さんが排除された理由は他にもあったようなので別の記事として今回取りあげてもあまり支障は出なかったように感じます。

イギリス流の憲法や議会を導入するか、プロイセン王国流の憲法を導入するかの路線の違いがこの政変のそもそもの理由のようにも感じられました。大隈さんが政府を去って伊藤博文さんらが中心となって大日本帝国憲法を作ることとなりますが、もし大隈さんがあまり自己主張せず政府に残り続けた場合、作られた憲法の姿は実際の大日本帝国憲法と異なった性格のものとなったのでしょうか。

それとも天皇中心の国家を理想と考えて幕末から活動してきた人たちが作っている政府ですから、政府内の高官の人たちの多数派はやはり天皇に強い権限が存在する仕組みを志向して実際に作られた憲法と同じものになったでしょうか。

これで一旦政府を去った大隈さんですが、その後伊藤博文さんに要請されて外務大臣を務めたり西暦1898年には内閣総理大臣になるなどまだまだ活躍されることとなります。

すごい人ですよね。政治的に敵対関係にあった人もその力量を認めざるを得ず外務大臣になったのにとどまらず、その後首相にまでなってしまうのですから。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

官有物払下げ関連記事「開拓使官有物払い下げ事件を簡単に。大隈さんの関わりも」はこちらです。

明治憲法関連記事「大日本帝国憲法によって定められた天皇大権とは?」はこちらです。

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