大日本帝国憲法によって定められた天皇大権とは?

天皇大権とは

 

天皇大権(てんのうたいけん)とは大日本帝国憲法(明治憲法)によって君主である天皇に認められた政治上の権限のことです。役人として任命したり免職する権利、軍を統帥する権利、宣戦布告したり講和を結ぶ権利、他国と条約を結ぶ権利、立法大権、議会を解散する権利、緊急勅令大権、戒厳大権、非常大権、恩赦大権、栄誉大権、憲法改正の権利、皇室全般について取り仕切る権利などがあったようです。

 

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役人を任命したり免職にする権利についてはそのままですね。役人になってもらったりやめさせたりする権限です。

宣戦布告したり講和を結ぶ権利についてもそのままですね。戦争を始めたり戦争を終わらせる権限があるということになります。

他国と条約を結ぶ権利についても文字通りですね。

議会を解散する権利というのは衆議院を解散するという意味での権限です。当時の議会のもう一方、貴族院は「解散」というものがありませんでした。ただ衆議院が解散された時には貴族院の議会活動が停止されることになっていたそうです。実際のところは内閣が天皇陛下に衆議院を解散してはどうでしょうと進言して天皇陛下が解散するという段取りとなっていたようで、実際は内閣が解散する権限を持っていたようなものでした。

憲法改正の権利もそのままですね。憲法の内容を変える権限を持っていました。

立法大権(りっぽうたいけん)というのは議会で通過した法律を許可したり、公布する権限です。

緊急勅令大権(きんきゅうちょくれいたいけん)は法律の代わりとして緊急時に天皇が法的な効力のある命令を出すことが出来るという権限です。

戒厳大権(かいげんたいけん)は戒厳状態に変更する権限です。戒厳というのは国民の権利を保障する法体系の効力を一部停止させて、国を統治する権限を軍のコントロールのもとに置くことを言います。

非常大権(ひじょうたいけん)は大日本帝国憲法作成に大きく関わっている伊藤博文さんによると日本が危機的な状況の場合に国や国民を助け日本国を守ることを目的に使われる権限なのだそうです。

恩赦大権(おんしゃたいけん)は刑事罰を受けている人の刑を一部軽減するか全て消滅させるという権限です。

栄誉大権(えいよたいけん)は国や社会に著しい貢献をした人や各分野で優れた功績のある人を表彰し待遇や地位などを与える権限のことです。

 

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統帥権とは

 

統帥権(とうすいけん)というのは大日本帝国憲法下の日本で使用された用語のようで、他国でも使われるような言葉というわけではないようです。

統帥権は大日本帝国憲法下の日本の軍隊をコントロールする最も高いレベルの権限を指す言葉です。この権限に対しては行政の実質的なトップ、内閣ですら影響力を行使することが出来なかったのだそうです。そのような構造を「統帥権の独立」と表現するそうです。軍の編成や人事、軍隊内の規則、出兵や撤退の命令、戦略や作戦内容の決定、軍の指揮といった内容が統帥権には含まれていたそうです。歴代の天皇陛下は実際のところ、これらの内容を陸海軍に委ねていました。

 

このように天皇大権は多岐にわたります。大日本帝国憲法のもとでは天皇陛下に様々な権限が集まっていました。

 

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天皇大権は単に「大権」と呼ばれることもあるそうです。大日本帝国憲法について取りあげる記事を作りたかったんですが、君主に権限が集まっているという特徴がこの憲法にはあるので今回はこの項目を調べてみました。

立法に関しても行政に関しても、行政に含まれることになるのでしょうが軍に関しても最高レベルで君主である天皇が権限を持つ仕組みであったことがよくわかります。そのような権限を明治天皇以降の歴代の天皇は抑制的に行使したという漠然とした印象がありますが、もし権限を濫用するようなことがあった場合を伊藤博文さんは憲法内容を作成している時に想定していたのでしょうか。明治、大正、昭和とそのようなこと(大権の濫用)なく日本国憲法に変わったわけですが。

もし対米戦争に関して昭和天皇が大権を行使して宣戦布告しない、戦争しないという方法は論理的にはあったことになりますよね。もしそのようなことをした場合は様々な勢力から権力の濫用と批判されたのでしょうか。その場合は軍部の力で否応なく昭和天皇は宣戦布告させられたのでしょうかね。(特に根拠のない想像です)

権限が集まっているということは天皇の立場を強めているようには見えるのですが、権力が集まるだけ実は天皇の存在を危険にさらしているようにも感じます。政治を牛耳りたい勢力にとっては天皇という存在が邪魔に映ることもあり得ますよね。

今回様々な権限を知ることとなりましたが、統帥権は別項目にしてみました。日本史の中で今後「統帥権」は重要なキーワードになってきますし、歴史でよく出てくる言葉なのに私自身は今一つ意味がよくわかっていなかったこともあったので少し詳しく取りあげたいという思いもありました。確か軍が政府の介入を退ける時にこの統帥権という言葉を利用したのではなかったでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

天皇関与関連記事「伊藤内閣と民党が対立する第4議会中に出された建艦詔勅とは」はこちらです。

憲法解釈関連記事「美濃部達吉がとなえた天皇機関説とは?天皇主権説についても」はこちらです。

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