第1回衆議院議員総選挙の選挙権や被選挙権、結果について

第1回衆議院議員総選挙

 

第1回衆議院議員総選挙(しゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は西暦1890年(明治23年)に行われました。帝国議会が開設されるにあたって行われた最初の選挙となります。大日本帝国憲法が世の中に知らされたのは西暦1889年(明治22年)です。この時に衆議院議員選挙法が公布されていました。この法律に基づいて選挙が行われています。小選挙区制で実施されました。選挙区から一人だけ当選者が出る仕組みです。

憲法が世に知らされた時総理大臣であったのは黒田清隆(くろだきよたか)さんでした。彼は衆議院で政府に反対する立場の政党が議席を得ることとなるのを想定したのでしょうか、役人に対し政党には影響されず、彼らの主張と関係なく政策を行っていくという意味で「超然(ちょうぜん)」という言葉を用いて政府の方針を伝え、自分たち政府が正しい立場であることを強調していました。

 

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第1回衆議院議員総選挙の選挙権

 

第1回衆議院議員総選挙で投票する権利が与えられていたのは一定年齢に達した国民全員ではありませんでした。年齢の制限は満25歳以上となっていました。また男性のみとなっており女性には与えられませんでした。更に国に対して税金を15円以上払っている人という制限もありました。25歳以上の男性で15円以上国に税金を払っている人です。他の人には投票する権利が与えられませんでした。

このような様々な制約がされた選挙権であったため投票できる人たちの割合は全人口のたった1.1%という大変少ないものでした。

 

第1回衆議院議員総選挙の被選挙権

 

被選挙権についても制限がありました。年齢は満30歳以上。女性は立候補出来ませんでした。被選挙権についても納税額の条件があり、国に対して15円以上の税金を払っている人に限られていました。

また衆議院議員選挙には皇族の方々や華族の人たちは立候補出来ないことになっていたそうです。

 

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第1回衆議院議員総選挙の結果

 

この選挙によって300人の議員が選ばれています。255議席は政党か有力会派に所属していた候補が占め、残り45議席が無所属の候補でした。

最も多く議席を獲得したのは立憲自由党という政党でした。130議席獲得しています。2番目に多く議席を獲得したのは政党ではない大成会(たいせいかい)という会派でした。79議席獲得しています。3番目は政党、立憲改進党でした。41議席獲得しました。4番目は国民自由党という政党でした。5議席獲得しました。他の議席は無所属の方々です。

大成会という組織が政党ではなく「会派」と聞いてよくわからなかったのですが、会派というのは議会内の活動に限定した議員からなる組織のことを言うそうです。活動の範囲が議会の内外を問わず、議員以外の人も党員として参加する社会的な組織である政党とは異なる存在です。

立憲自由党や立憲改進党は政府と反対の立場で「民党(みんとう)」と呼ばれました。それに対し比較的政府側の立場をとった政治勢力を「吏党(りとう)」と呼んだそうです。国民自由党は吏党でした。また大成会も政府寄りでした。民党は立憲自由党、立憲改進党を合わせ171議席となり議員総数300人の過半数以上となりました。

 

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今回は衆議院の最初の選挙を取りあげてみました。憲法の発布が行われ議会が開設されることとなり政治の争いは議会を舞台にすることが多くなるでしょうし、特に初回の総選挙は注目すべき出来事なのではないかと感じました。

国会設立の勅諭が出されてから誕生した政党の中で初回の総選挙まで存続できたのは立憲改進党だけでした。一番議席を獲得した立憲自由党という政党はこの初の総選挙の後に結成されたそうです。選挙が7月に行われ、8月に結成しました。大同団結運動や三大事件建白運動であまり名前の出てこなかった板垣退助さんもこの立憲自由党には参加しています。大阪事件で逮捕された有名人、大井憲太郎さんもこの選挙に立候補して当選し立憲自由党に所属します。

相当な制限選挙だったのだろうと想像しますが自由民権運動で過激な活動をした大井さんのような人が立候補しても票が集まったんですね。社会的に比較的豊かな立場の人だけが投票したという選挙の割には当時の政府に弾圧された経歴のある人が支持を集めるというのは不思議な感じもします。富裕層にも政府に対する不満がそれだけあったということなのかもしれません。福島事件で逮捕された河野広中さんや大同団結を訴えた星亨さんもこの選挙で当選されています。

当時の黒田清隆総理大臣の「超然」発言は今の世の中では考えにくい内容ではありますが、当時政党はそれだけ体制にとって危ういものと見られていたということを改めて知りました。民主的なもの、それを基盤とする政党が決して誤った選択をしないなどとは言うつもりはありませんが、高級官僚が絶対誤った政策をしないという保証も無いような気がします。民党が多数の議席を獲得する結果となったので政府は政党を無視して政策を行うことなど出来なくなってしまいました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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