第2次伊藤内閣の別名「元勲内閣」とは?メンバーについても

元勲内閣とは

 

元勲内閣(げんくんないかく)とは閣僚、つまり首相以下内閣を構成する大臣をいわゆる元勲と言われる人たちがほとんど担当していた内閣ということを意味しているようです。公的な名称ではなく単なる呼び名です。

元勲(げんくん)という言葉の意味ですが、明治維新実現のために貢献したり、明治新政府の建設や維持に貢献した人たちのことを元勲と呼んでいたのだそうです。明治維新功労者に限定して使われることもあるようです。

 

スポンサーリンク

元勲内閣のメンバー(発足時)は

 

首相(内閣総理大臣)は伊藤博文さんでした。長州藩出身なのは有名ですよね。伊藤さんは華族という身分でした。当時伯爵だったそうです。

外務大臣は陸奥宗光(むつむねみつ)さんでした。紀伊藩出身の方です。紀伊藩士の家に生まれた方ですが、この方も大臣就任時華族となっていました。当時子爵だったそうです。

大蔵大臣は渡辺国武(わたなべくにたけ)さんでした。諏訪藩出身の方です。諏訪藩士の家に生まれたということで本来士族の身分でしたが、大臣就任時華族の身分(子爵)となっていました。大久保利通さんに目をかけられ大蔵省の役人や県令として活動した経歴を持つかただそうです。

内務大臣は井上馨(かおる)さんでした。長州藩出身の方です。長州藩士の家に生まれた方ですが、この方も大臣就任時には華族の身分(伯爵)となっています。

スポンサーリンク

陸軍大臣は大山巌(おおやまいわお)さんでした。薩摩藩出身の方です。薩摩藩士の家に生まれた方ですが、この方も大臣就任時には華族の身分(伯爵)となっています。

海軍大臣は仁礼景範(にれかげのり)さんでした。薩摩藩出身の方です。薩摩藩士の家に生まれ薩摩藩の命令でアメリカに留学し帰国後は海軍の軍人として経歴を積みこの内閣で海軍省のトップとなりました。大臣就任時華族の身分だったようです(子爵)。

司法大臣は山県有朋さんでした。長州藩出身であることは有名ですよね。第2次伊藤内閣の前の前の内閣で首相だった方です。大臣就任時伯爵だったようです。

文部大臣は河野敏鎌(こうのとがま)さんという方です。土佐藩出身だそうです。江戸幕府が倒れるまで政治的な理由で牢獄に入れられてしまう生活を続けたそうです。後藤象二郎さんを介し明治新政府の役人として活動するようになりました。元老院や複数の省で高官として活動し一旦は大隈重信さんと共に政府の役人を退きましたがその後復帰したようです。前の内閣でも内務大臣などを務めた経歴があります。

農商務大臣は後藤象二郎さんでした。土佐藩出身で有名な方ですね。この内閣で大臣に就任した時伯爵だったそうです。

逓信大臣は黒田清隆さんでした。薩摩藩出身の方です。この人は2代目の内閣総理大臣を務めた方ですね。この内閣で大臣に就任した時は伯爵でした。

拓殖務大臣は高島鞆之助(たかしまとものすけ)さんでした。薩摩藩出身の方です。薩摩藩士の家に生まれた方ですが大臣就任時は華族となっていました(子爵)。軍人(陸軍)としての経歴が長い方のようです。

 

スポンサーリンク

今回は第2次伊藤内閣のメンバーについて取りあげてみました。初期議会を山県有朋さん、松方正義さんの内閣と取りあげてきましたので、その次の内閣である第2次伊藤内閣がどのようなことをしたのか調べてみようと思いましたが、今回の記事は元勲内閣ということでメンバーをまとめるだけになってしまいました。

総理大臣経験者が伊藤博文さんと山県有朋さんと黒田清隆さんの3人です。長州藩出身の方が伊藤さんを入れて3人、薩摩藩出身の方が4人、土佐藩出身の方が2人。多くが薩長藩閥であることや大臣経験者も多数いる内閣ですね。

このような元勲内閣と呼ばれるほどのメンバーがそろったのは伊藤博文さんの影響力が強かった、つまり当時権力中枢で発言力の強かった伊藤さんから大臣をやってくれと言われると断れない。そんな事情でもあったんでしょうかね。

「元勲」という呼び名についてはよく知りませんでした。新政府側から見て余程維新で活躍したと思われる、西郷隆盛さんや大久保利通さん、木戸孝允さん、岩倉具視さんのような人たちのことを指す言葉なのかなと思っていました。この内閣の大半の方たちは元勲だそうですから、想像したよりも多くの人々を意味する言葉のようですね。大臣担当者の中には正直名前を知らない方もいました。

 

伊藤博文さんが総理大臣として議会を向こうにまわして政治を行うのはこの第2次伊藤内閣が最初となります。議会とどのように向き合うことになるのか、別の記事で取りあげてみたいと思います。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

伊藤博文関連記事「第4次伊藤博文内閣で与党となった立憲政友会とは?」はこちらです。

伊藤博文関連記事「選択肢、日露協商論と日英同盟論とは?満韓交換についても」はこちらです。

関連記事

最近のコメント

    ページ上部へ戻る