第2次伊藤内閣のもと第5議会が解散された理由について

第5議会解散の理由

 

江戸時代に結ばれた通商条約の改正について第5議会の開かれていた時期に国内で頻繁に議論されていました。衆議院内では条約改正案の内容に不満な勢力が多く、彼らは「条約内容を変更するくらいであれば今までの内容の方がましだ。」と考え議会の総意が条約改正反対となるよう「条約励行建議案 じょうやくれいこうけんぎあん」を衆議院で提出しました。

この建議案が衆議院で可決されると、議会の一つである衆議院は条約改正反対と意思表示することになります。条約改正のために交渉している日本政府としては交渉相手国に日本側の意見がまとまっていないことを指摘され交渉がうまくいかなくなってしまうことは避けたいところです。しかし議会の審議経過を政府が傍観していると建議案が通ってしまうかもしれません。

そのため伊藤内閣側は解散を行い建議案が衆議院を通過することを阻止しようとしました。解散の理由は議会が条約改正反対と意思表示することを防ぐためだった、ということになります。

「条約励行」というのは今の条約のままにしようという考えを表現している言葉です。つまり、条約内容の変更に反対していることになります。

 

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条約改正に反対だった勢力は

 

条約改正に反対していた勢力は、立憲改進党、東洋自由党、同盟倶楽部、政務調査会、国民協会、大日本協会の6つだったそうです。

東洋自由党という政党は自由党という大変大きな政党の中で派閥争いが激化し、自由党から離脱した議員が結党した政党です。西暦1892年11月に結党されたそうです。

同盟倶楽部というのは会派のようです。当初は政府擁護の立場をとっていた議員たちが第2次伊藤内閣に反発し反政府側に回って誕生した勢力です。政務調査会も政党ではなく衆議院内の会派だったようです。

国民協会も政党ではなく、政治団体だったそうです。西暦1892年に西郷従道(これみち)さんや品川弥二郎(やじろう)さんのような政府の高官として活動してきたような人たちが作ったそうです。

大日本協会も政党ではありません。政治団体だったようです。他国の人が日本国内に設けられていた居留地以外の地域で生活した場合、どうなるかを研究していた人たちが結成しました。

ここで出てくる衆議院内の会派は政党とは異なり、議会内の活動を目的としており、政党のように議員以外の人が参加できる集まりではありません。

 

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これらの勢力が条約改正に反対だった理由は

 

江戸時代に結ばれた日米修好通商条約などの安政の五カ国条約は他国の日本駐在領事(外交官のことです)が犯罪を起こした外国人を裁くという領事裁判権を認めていたり、日本側に関税自主権が無かったりと不平等な点がある条約でした。日本政府もこの不平等な状態の改善を図り条約交渉をしていたのですが、交渉内で日本の裁判で外国人を判事として採用したり、他国の人が日本国内において制限なしに居住、旅行、外出出来るような仕組み(こういう外国人が日本国内を制限なしに活動することを「内地雑居 ないちざっきょ」と言うそうです)にしてほしいと交渉相手国から求められていました。

「条約改正」が行われた場合に他国の要請によって他国の人が日本国内を制限なく行き交うことが出来るようになることを条約改正反対勢力は受け入れられませんでした。

 

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今回は初期議会の一つである第5議会で解散が行われた理由について取りあげてみました。今回は予算が絡んだ話ではなく条約が理由となりましたね。

条約改正に反対だった6つの勢力は他国と完全な対等条約を結ぶことには別に反対だったというわけではなかったようです。あくまで内地雑居や他国の人を日本の裁判官に採用するということに反対だったということです。当時の日本には他国の人たちが居留地以外の日本国内で活動することを恐れていた人たちもいたのですね。

西暦1891年にロシアの要人を日本人が滋賀県で襲撃した事件も起きているので、内地雑居によってそのような事件が多発し国際問題となって他国から多額の賠償を求められるような事態となってしまうことを心配した人たちもいたのかもしれません。

伊藤内閣は条約改正に反対の建議案が衆議院を通過することを防ぐために解散する前に衆議院を停会し、10日後再び議会を開くものの即日再び停会するという非常に強引な手法をとりました。交渉相手である他国に付け入る隙を与えないため背に腹は代えられなかったということでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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