明治の日朝間で発生した防穀令事件とは?読み方についても

防穀令事件の読み方

 

「防穀令事件」は「ぼうこくれいじけん」と読みます。防穀令というのは穀物(こくもつ)を防ぐ命令ということですね。

 

防穀令事件とは

 

防穀令事件は西暦1889年(明治22年)から発生した日本と朝鮮国との間の貿易に関する出来事です。

日本と朝鮮国との間で西暦1876年(明治9年)に日朝修好条規という条約が結ばれ、それ以降朝鮮国で生産されたお米や豆といった穀物を日本が輸入するようになっていきました。条約締結後朝鮮からの穀物輸入量が増加したそうですので、日本国内で朝鮮産の穀物の需要が多かったということなのでしょう。

しかし農産物である穀物は天候が恵まれないような場合には例年より生産高が減少してしまうこともあります。西暦1889年の朝鮮ではそのような状況となってしまっていました。朝鮮国内の咸鏡道(かんきょうどう 朝鮮北部の東側に存在していた李氏朝鮮の行政区分です)では不作によって食糧難になってしまうことを理由に穀物の輸出を禁止する行政側の命令が出ることとなりました。

そのような事情で日本へ輸出される穀物の量が減少しました。朝鮮国が輸出してくれる穀物で商売をしていた日本の会社はこの穀物輸入量の減少で経済的な打撃を受けたそうです。

スポンサーリンク

損害を受けた日本の会社は日本政府に朝鮮国に対して賠償を要求するように求めたそうです。日本の企業から圧力がかかり日本政府は朝鮮国に賠償を要求することとなります。また日本政府はそれだけではなく、朝鮮国内で出された穀物輸出禁止命令を解除することも朝鮮国に要求しました。

朝鮮国は西暦1890年に穀物輸出禁止命令を解除し、1893年には賠償金の支払いに応じることとなりました。1891年に日本は14万7000円の損害賠償を求めたそうで、それに対し1893年に朝鮮側が応じた賠償額は11万円だったそうです。この交渉の時日本は朝鮮国に対し最後通牒(さいごつうちょう)をつきつけるという強硬な態度をとったそうです。

 

スポンサーリンク

今回も朝鮮国が関係する出来事、防穀令事件について取りあげてみました。順番としてはこの事件の後に日清戦争に関わってくる甲午農民戦争(東学党の乱)が発生することになります。明確な関連が防穀令事件と甲午農民戦争にあるかというとよくわかりませんが。でも穀物価格の高騰の理由として日本への穀物輸出は影響しているでしょうから、取りあげるのがまずい内容というわけでもないと思いました。

日本でも多くの農家の方がいらっしゃるはずですし、なぜ朝鮮産の穀物需要が伸びていたのでしょうね。値段の問題だったんでしょうか。「朝鮮産のお米や豆は安くて質が安定している」といったような日本の消費者にとってありがたい存在だったんでしょうかね。

穀物の輸出を禁止する命令についてですが、このような命令を朝鮮国側が出すことは特に問題だったわけではないようです。日朝間の貿易に関する取り決めの中にそのような決まりはあったそうです。自国民が飢え死にしては大変ですから当たり前の話ですよね。

ただ穀物輸出禁止命令を出すにあたって朝鮮のお役人さんが誤った対応をしたのだそうです。禁止命令を出すにあたって予告期間というものを設ける必要があったそうなのですがその予告期間がこの事件の際は短すぎたそうで、余計に問題が大きくなってしまったそうです。損害を受けた日本企業が賠償を求めたのにはそのような理由もあったようですね。

スポンサーリンク

この件での日本の対応というのはいかがなものなんでしょうかね。予告期間が短くて日本企業に損失が出たことについて賠償を求めるという点については理解できるようにも思いますが、日朝間で結ばれた貿易の取り決めの中でも認められている輸出禁止命令を解除するよう要求したり日本の思い通りにいかない場合最後通牒をつきつけるというのはやり過ぎなのではないでしょうか。不作によって朝鮮国で食べ物が不足して困っている人たちがいたわけですから。

ちなみに最後通牒という言葉はよくわからなかったので調べてみましたが、普通最後通牒をつきつけるということは要求が通らない場合、強制的な対応、戦争といった手段に訴えることを意味するのだそうです。こわいですよねー・・・。

当時の朝鮮政権は清国との関係が強かったそうですから、日本としてはそのような状況を打開したかったことでしょう。それなら日本がわざわざ朝鮮国に嫌われるような対応をしなくてもいいんじゃないのかなぁと思うんですけれどねぇ。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

強硬要求関連記事「甲午農民戦争発生後、日清戦争に至るまでの経過について」はこちらです。

強硬要求関連記事「三国干渉とは?干渉した理由やイギリスの姿勢について」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る