甲午農民戦争発生後、日清戦争に至るまでの経過について

甲午農民戦争の発生について簡単に説明します

 

甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)は前回の社会歴史記事でも取り上げましたが、西暦1894年(明治27年)に発生した農民を中心とした勢力による武装蜂起です。発端は朝鮮半島の南部、当時の行政区分、全羅道(ぜんらどう)の役人による不正な農民からの収奪でした。不正行為を農民が役所に訴えたそうですがその農民が弾圧されたそうで、このいきさつに怒った農民側が武装蜂起しました。武装勢力の指導者は宗教組織「東学党(とうがくとう)」の関係者だったそうです。朝鮮政府は政府軍を動員して鎮圧にあたりましたが、武装勢力との戦闘で敗退し、とうとう武装勢力側が全羅道の中心地、全州を制圧します。

 

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甲午農民戦争発生後の日本と清の動き

 

政府軍で武装勢力を鎮圧できなかったため、朝鮮政府は清国に軍事支援を求め、それに応じ清国は軍を朝鮮へ派遣しました。

甲午農民戦争発生の10年前にあたる西暦1884年に起きた甲申政変(こうしんせいへん)後に清国は日本と天津条約を結んでいました。その条約で日本か清国が朝鮮に出兵する場合は相手国に事前に連絡するという決まりを設けています。その約束に従い清国は日本に出兵することを連絡しました。

その連絡後日本は朝鮮に出兵することとしました。朝鮮国に滞在する日本人の保護と、日本公使館の警備を目的とした出兵でした。

 

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朝鮮政府のその後の対応

 

清国に軍事支援したものの日本国も朝鮮に出兵し、日本と清国の緊張が強まってしまいました。この状況を目の当たりにして朝鮮政府は朝鮮国内で日本と清が武力衝突を起こし戦争になってはたまらない(朝鮮が大変な被害に遭ってしまう)と考え日本と清国が戦ってしまう状況になる前に農民戦争問題に決着をつけようとしました。朝鮮政府が武装勢力側の要求を受け入れることにしたのです。朝鮮政府のこの動きによって朝鮮政府側と武装勢力との戦闘は収まっていきました。一応の解決を見た朝鮮政府は日本と清国に対して朝鮮国の領域から軍を撤収するよう求めました。

 

朝鮮政府の要求に対する日本と清国の動き

 

朝鮮政府が日本と清国両国に対して朝鮮から軍を引き揚げてくださいと求めたにもかかわらず、日本も清も軍隊を引き揚げようとしませんでした。

日本と清国の間で協議が持たれたそうです。日本側は清に朝鮮国が独立国となるための支援と独立国となるための朝鮮国内の政治改革を日本と清の二カ国共同でおこなうことを提案したそうです。清国はその提案について日本軍が朝鮮から撤収することを条件に挙げて拒否しました。

清国との協議では日本の要求が受け入れられず、今度は日本が朝鮮国に清国との従属関係を解消するよう要求しました。朝鮮政権側は日本の要求に対し日本と清国の軍の撤収を繰り返し求めました。日本側は朝鮮政権への要求に対する回答の期限(3日間)を設定していました。日本側の求めていた回答が朝鮮政権側から得られず日本軍は朝鮮の王宮を攻撃してしまいます。そして国王の身柄を確保し国王の父親である大院君(だいいんくん)さんに新しい政権を発足させました。また、新しく出来た朝鮮の政権から日本に対して朝鮮に駐留している清国の軍隊を朝鮮領内から追い払うよう公式な要請を出させてしまいました。

形式上朝鮮からの要請を受けたということになり、これによって日本と清国の軍隊が戦うこととなります。

 

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今回は甲午農民戦争が一旦落ち着いた後の日本と清国の動きを取りあげてみました。朝鮮半島を日本と清どちらが影響下に置くか争った結果、日清戦争になったという理解をしていたものの実際に戦争に至るまでの流れは詳しくは知らず、この機会に調べてみようと思いました。

速やかに近代化をしなければ朝鮮半島も欧米列強から侵略されてしまうという日本側の危機感はとても理解できる気がしますし、今回の件で調べていてもイギリスやロシアといった国の名前が出てきていました。確かに朝鮮が清にも日本にも近づかず、ロシアに接近してロシアの保護国になったりしたら日本としては安全保障上大問題になったかもしれません。九州のすぐ近くの朝鮮半島がロシアの影響下となっては日本の領土を守りきるのが非常に大変になってしまうかもしれません。

とは言っても日本軍が朝鮮国王の住んでいる場所を攻撃して政権交代を強引に行うのは正しい行動だったと言えはしないでしょう。明治初期の日本の新政府を欧米列強のどこかの国が攻撃して明治天皇の身柄を確保して新しい政権を作ったら「侵略だ!」と言って当時の日本人たちはきっと怒りますよね。だからといって清国が朝鮮を従属国としたままにする行為がいいはずもありませんが。

こういう話を扱っていて感じますが、弱い状態の国というのは本当に大変ですよね。国際政治に関する専門家が、(どのような国も)国家というのは常に世界の中で生存競争にさらされている、本当は今の世界はそうは見えないかもしれませんが無政府状態なんです、と言っていたのを思い出します。弱い国はそのままでいてしまうと、他国に侵略され、国が滅亡してしまう危険性があるものなのだ、ということを今回改めて感じました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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