ロヒンギャとは?ミャンマーやバングラデシュとの関わりも

ロヒンギャとは

 

ロヒンギャとは東南アジアの国、ミャンマー(正式名称ミャンマー連邦共和国)の一部地域に存在している人たちの名称です。一つの民族であるという主張がロヒンギャの人たちから出ていますけれど、それについては立場によって見解が分かれているようです。ミャンマー以外の国、バングラデシュ、パキスタン、タイなどにもロヒンギャの人たちが生活していますが、一番多いのはミャンマーになります。このロヒンギャという名称が使われるようになったのは西暦1951年以降だと言われているようです。ミャンマーが独立したのは1948年です。その時の国名はビルマ連邦でした。ロヒンギャの人たちが多く住んでいるのはミャンマー国内のラカイン州という地域です。ミャンマーは7つの管区と7つの州、合計14か所の地域に分かれています。管区というのは国内で一番多い民族、ビルマ族の人たちが多く住んでいる地域で州はビルマ族と異なる民族の人たちの多くが生活している地域になります。ラカイン州はミャンマーのこれら14か所の行政区画の一番西に位置する地域になります。ミャンマー国内に存在しているロヒンギャの人たちの数について以前は80万人~100万人といった数にのぼると見られていましたが、その後のミャンマー国内での圧政によってその数字も大きく変化していると見られています。ロヒンギャの人たちは大半がイスラム教を信仰しています。ちなみにミャンマーの多数派民族ビルマ族の人たちが信仰している宗教は仏教です。ロヒンギャの人々はロヒンギャ語という言語を使用していますが、この言語の文字は近年まで確立されてはいませんでした。最近、多くのロヒンギャの人たちが難民となる問題が発生しており、大変注目されています。

 

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ミャンマーとの関係

 

元々多くのロヒンギャの人たちはミャンマーに住んでいたわけですがミャンマーの中央政府やラカイン州で生活している他の民族の人たちから迫害されていたという指摘があります。1982年以降ロヒンギャの人たちはビルマ連邦の国民ではないと法律で定められてしまいました。1989年に国名がミャンマー連邦共和国になります。この頃中央政府がロヒンギャの人たちの財産を没収し強制労働に従事させる政策をとったそうで、このような圧政から逃れるため多くのロヒンギャの人たちが難民としてバングラデシュに移っていったそうです。2012年にはラカイン州に存在している少数民族アラカン族とロヒンギャの人たちの対立が激しくなり更に多くのロヒンギャの人たちがミャンマーから国外へ難民として流出することとなりました。その後2016年にロヒンギャの人たちで構成されていると見られた武装勢力がラカイン州の地元警察の関係者を襲撃し犠牲者が出たことをきっかけにして中央政府は軍隊をラカイン州に派遣しロヒンギャの人たちを攻撃したそうです。この動きにより多くのロヒンギャの人たちが難民となり国外へ逃げていきました。

 

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バングラデシュとの関係

 

ミャンマーの北西部と接している国にはインドやバングラデシュがあります。ロヒンギャの人たちはミャンマー中央政府やアラカン族の人たちの迫害から逃れるためこの隣国であるバングラデシュに多数逃げ込むこととなりました。バングラデシュは1988年以降のミャンマー中央政府の弾圧後バングラデシュに逃亡してきたロヒンギャの人たちをミャンマーに送還することもあったようです。しかしあまりに多くのロヒンギャの人たちが難民化しバングラデシュにやって来たことでミャンマーへ送還することを徹底するのは困難となり自国内に難民となったロヒンギャの人たちのためのキャンプが設営される結果となりました。ただしバングラデシュ側もロヒンギャの人たちを歓迎しているわけではないようで、難民の受け入れに消極的な姿勢です。バングラデシュ側はミャンマーに対し膨大な数となっている難民となったロヒンギャの人たちの強制送還に応じるよう求めていますが、ミャンマー側はこの要求を拒否したままとなっています。

 

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今回はロヒンギャの人たちについて一部取りあげてみました。最近この人々に関するニュースを見聞きする頻度が増えてきたような気がするのですが、正直あまり聞いたことの無い名称でしたし、よくわからなかったので調べてみることにした次第です。民族として位置付けていいかどうかまだ決着がついていないようではありますが100万人以上の数にのぼる人々ですから、それなりの割合の人たちが難民化して周辺の主権国家に移動していけば移動先の国の対応も大変になるのは当然ですよね。バングラデシュが受け入れ対応に苦慮している話は上でも書きましたが他の国、タイやインドネシアも対応に困っているようです。ミャンマー中央政府の対応がロヒンギャの人たちにとって妥協可能なものだったらこのような国際問題にもならなかったんでしょうか。宗教が違ったり言葉が違って考えていることが通じにくいとラカイン州で摩擦も起きやすいんでしょうかね。ロヒンギャの人たちのことを調べていて必ずしもラカイン州の少数民族アラカン族の人たちは特にミャンマー中央政府から弾圧を受けているような話は無かったように思います(アラカン族の人たちは仏教を信仰している人が多いそうです)。しかしミャンマー国内ではキリスト教を信仰している少数民族が中央政府と対立している事情もあるようです。宗教の違いが問題の原因になっているんでしょうか。逃げようにも行き場がないというロヒンギャの人たちの状況をどうしたらいいものなのか、解決が困難な問題だということは何となく理解できたような気がします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

文化、習慣の違いによる摩擦が生じている他の国の話「スペインのカタルーニャ地方とは?一部で独立を望む理由も」はこちらです。

イギリスからの分離独立を望んでいる勢力について触れている話「スコットランドの独立運動の理由と過去の投票結果について」はこちらです。

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