過去にアルゼンチンが経済危機となってしまった原因は

アルゼンチンがかつて経済危機となった原因

 

南アメリカ大陸の国、アルゼンチン共和国。この国の通貨はアルゼンチン・ペソです。先日(この記事は平成30年、西暦2018年の9月~10月にかけてに作成しております)このアルゼンチンペソの交換比率が大きく変動しているとニュースで取りあげられていました。アメリカの通貨、ドルに対してアルゼンチンペソの価格が急激に値を下げているのだそうです。トルコ共和国の通貨の価値が大きく変動したことと関係しているという指摘もあるようです。国際通貨基金がアルゼンチン政府に融資をするなどの動きを見せており、今後通貨の下落が落ち着くのかどうか注目を集めています。アルゼンチンでは過去に経済状態が非常に悪化した時期がありました。最近では西暦2001年の事例があります。国内の経済状態が非常に混乱しアルゼンチン政府が借りていたお金を返済することが出来なくなる債務不履行(さいむふりこう デフォルト)となりました。債務不履行となることはその後の2014年にもあったようですが2001年の経済危機は国民への影響が特に大きかったようで、多くの国民が経済の混乱を回避するため移民となって他国に出て行ってしまいました。何かと経済面で落ち着かない様子のアルゼンチン。2001年の場合は何が原因で経済危機となってしまったのでしょう。当時のアルゼンチンペソの為替に関する政府の方針、他国の通貨の変動による影響が大きな原因となったという指摘は多いようです。

 

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為替政策

 

アルゼンチンは2002年以降変動相場制に移行しましたが、それ以前は1アメリカドル=1アルゼンチンペソという交換比率に大体維持するという方針を1992年以降とっていました。ドル兌換法(どるだかんほう)、1アルゼンチンペソを1アメリカドルに交換することを主旨とした法律が根拠となった政策です。アルゼンチン国内が非常に深刻な物価高、インフレ状態となっていたのを解決する目的でこのような政策がとられました。この政策によってアルゼンチンのお金を発行するアルゼンチンの中央銀行が国内のアメリカドルの量を考慮してアルゼンチンペソの紙幣を発行することになり、インフレがひどかった頃に比べ世の中に出回るアルゼンチンペソの量が結果的に減ることになり、物に対するアルゼンチンペソの価値が以前に比べ上昇し、インフレが解消されていきました。そのためインフレを解決することを目的としたアルゼンチン通貨の固定相場制は一時期良い方向に機能していたことになります。

 

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他国の通貨価値の変動による影響

 

しかし1990年代の後期はアメリカの通貨ドルの価値が欧州などの通貨価値に比べて高くなる状態、ドル高の状態になりました。アメリカ経済が非常に良かったことが理由のようです。アメリカドルの価値が高い状態ということは1ドルを1アルゼンチンペソに両替する政策をとるアルゼンチンにしてみると貿易で儲けづらい状態を招くことになるので歓迎できません。アメリカドルが高くなったことでアルゼンチンペソの価値も高くなってしまいますのでアルゼンチン産の製品を諸外国に輸出した場合、アルゼンチンペソが高い状態になればなるほどアルゼンチン産の製品は他国から見れば割高となってしまいます(A国の通貨を「エー」と仮にして1990年代前半の為替比率が1米ドル=1アルゼンチンペソ=100エーだったとしましょう。しかし1990年代後半はドル高となったので1米ドル=1アルゼンチンペソ=150エーになったとします。するとかつて100アルゼンチンペソで販売していたアルゼンチン産の輸出製品が1990年代前半だと10000エーで販売されていたのが1990年代後半の為替比率になると15000エーで販売されてしまうことになります。A国の消費者から見ると同じ商品なのに価格が1.5倍に跳ね上がってしまうことになります。商品の値段が上がれば当然消費者は購入しなくなります)。このためドル高となったことでアルゼンチンは海外でお金を儲けられなくなっていきました。またアルゼンチンの隣の国、ブラジルがアルゼンチンにとっては商売のお得意さんなのですが、新興国の通貨に対する不信感が当時の世界で強まったことでブラジルの通貨、レアルはどんどん安くなっていき、アルゼンチンペソの価値が相対的に高くなったことで大切な商売相手のブラジルでもアルゼンチンの製品が売れなくなってしまいました。アルゼンチンが貿易などでお金を儲けにくくなり、外貨を獲得しにくくなりました。また国内で生産する製品が他国の製品に比べ相対的に割高となってしまいアルゼンチン国内でもアルゼンチンで生産した品物より他国からの輸入品が消費者に購入されるようになりました。アルゼンチン経済が悪化しますし他国の通貨の価値が下落している中、アルゼンチンペソの価値に対する不信感も広がりペソをアメリカドルに交換する動きがアルゼンチン国内で強まりました。しかしアルゼンチン国内でペソと交換できるアメリカドルの額には限りがありアルゼンチン政府はペソをドルに交換することを結果的に停止します。自国の銀行に預けているペソを引き出しドルに換えて海外の金融機関に預ける動きが強まっていたことでアルゼンチン国内の銀行が閉鎖に陥るなどの混乱が起きました。金融界の混乱を抑えるためにドルへの交換を停止しただけではなくアルゼンチン国内の銀行預金の引き出しに制限を加えるという政策をアルゼンチン政府がとるようになります。国民の不満が強まり暴動などの社会不安が増大しました。

 

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今回はアルゼンチンの過去の経済危機について一部取りあげました。最近アルゼンチン経済のニュースを耳にして過去にもすごく混乱したことが確かあったなぁと思い、過去に混乱した理由が何だったのか確認したくこのようなテーマの記事を作ってみました。アルゼンチンが2001年頃経済危機に陥った理由について見解が定まっているというわけではないようなのですけれど、通貨が固定相場制だったことやドル高などが影響しているという指摘は多かったので今回はそれを中心にまとめてみました。他にも経済が悪化した理由として財政赤字が拡大したこと、他国からの借金が膨らんだこと、他国からアルゼンチンへの投資が1990年代後半とても減少したことなども関係しているという指摘があるようです。深刻なインフレを解決するためにとった為替政策でその後アルゼンチン経済が悪化してしまうことにつながるのですから経済のかじ取りというのは大変ですね。1990年代前半はアルゼンチン経済も好調だったそうですからその時期に固定相場制から変動相場制に移行してアルゼンチン経済の実態に即した交換比率になっていたらドル高やレアル安の影響も現実程には大きくならなかったのでしょうか。政府や中央銀行が通貨をどのように扱うかで国民の生活に相当な影響が出てしまうわけですから、自分の国の経済政策には出来る限り注目していたいものです(でも少なくとも私に関して言えば、普段目にする経済ニュースがわかりにくいと感じることは結構あります)。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

他国の経済について触れている他の話「トルコの通貨安は何を原因にして起きているのでしょう」はこちらです。

南米の他の国の経済について触れている話「ベネズエラでインフレが進行した理由は何なのでしょう」はこちらです。

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