リビアはアラブの春が起きたその後どうなったのでしょう

アラブの春がリビアで起きたその後

中東地域の出来事に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりにいわゆる「アラブの春」という社会現象が起きてから中東の国、リビアはどうなったのかについて書いてみたいと思います。平成二十二年、西暦2010年以降に中東地域の複数の国で政治体制の変化が起きました。アフリカ北部の地域にあるリビアとアルジェリアに挟まれた場所にある国、チュニジアで政府に対する抗議活動をきっかけにして中東地域の様々な国の体制を変革する動きが活発になりました。中東の大国、エジプトはこの政治的な現象によって長年権力を持っていた大統領が辞任に追い込まれています。このアラブの春という政治現象が発生した国は政治体制が変わらず抗議活動があっただけの国も含めますと10ヶ国以上にのぼるようですし、アラブ民族の国以外でも政府に対する抗議活動が強まるような影響があったそうです。アフリカ北部の国、リビアもこのアラブの春の影響を非常に強く受けた国の一つです。40年以上リビアの政治指導者として国を治めていたカダフィ革命評議会議長が国内で支配地域を広げた反政府勢力に捕えられ殺害されてしまいました。カダフィ体制がアラブの春によって終わります。その後リビアはどうなったのでしょう。リビア国内で複数の政権が並立し国内を一つにまとめることが出来ておらず、イスラム教の過激派勢力の活動や武装勢力間の対立もあり国内は内戦のような状態になってしまっています。

スポンサーリンク

選挙はしてみたものの

平成二十三年、西暦2011年の10月にカダフィさんが命を奪われ、カダフィ政権と戦った反政府勢力がひとまず国を仕切り、カダフィさんが亡くなった9か月後(平成二十四年、西暦2012年7月)に国の議会の議員を選ぶ選挙がおこなわれました。この選挙で選ばれた議員さんたちによってリビアの行政をおこなうトップ、首相を選び、その人物によって内閣が組織されることとなります。紆余曲折があったもののひとまず首相は選ばれました。しかしその首相をトップとする内閣が組織されてもリビア国内で武装勢力による破壊活動はおさまらず、政府も武装勢力を抑えることは出来ませんでした。しっかりと国をまとめ上げることが出来なかったようです。平成二十六年、西暦2014年には憲法を制定するための新たな議会を作るために再度リビアで議員を選ぶための国政選挙がおこなわれました。この選挙でイスラム教とは距離を置いた世俗的な政治勢力が勝利しました。この選挙結果が不満だったようで2012年に選挙で選ばれた議員で構成されていた議会は2014年の選挙で選ばれた議員で構成される議会に権限を渡そうとしないというややこしいことになってしまいます。イスラム教に基づいた政治をしたがる2012年に成立した議会によって作られた政権と世俗的な政治をしたがる2014年に成立した議会によって作られた政権同時に存在してしまうことになりました。国が分裂してしまった状態を好ましく思わない国連は仲介する姿勢を見せるものの政権はいまだに一つにまとまる様子がありません。この二つの政権が対立しリビアは内戦状態となってしまいました。

スポンサーリンク

別の勢力も入り込みました

中東の他の国で支配する地域を一時期広げていた、IS、イスラミックステートも平成二十六年、西暦2014年以降リビアに入り込み、支配地域を獲得しようとしました。リビアの石油資源などが目的といった見方もあるようです。ただリビアの並立する政権勢力の抵抗もあってこの国では思ったような支配地域の拡大には成功していません。他にもリビアは国内の部族間での対立が存在し、それを理由にした武力衝突も発生しています。カダフィ体制が倒れてもう7年以上経過することになります(この記事を作成しているのは平成三十一年、西暦2019年3月です)が国内を二分する政権、複数の武装勢力の対立、過激派の流入などによってリビア国内は混乱した状態が続いてしまっています。

スポンサーリンク

今回はリビアで政変が起きたあとどうなっているのかについて一部取りあげました。先日リビアの中央省庁で過激派によると思われる事件が発生したことをニュースで耳にして最近のリビアというのはどうなっているのだろうと思い、確認してみたく今回のようなテーマの記事を作ってみることとしました。他国から見て独裁体制と映る政治が続いていたわけなのでその体制が終わったことはリビア国民にとって朗報なのだろうという見方がそれなりにあったのでしょうが、それから七年経過した状況をみると本当にアラブの春がリビア国民に利益をもたらしたのか疑問に感じてしまいます。内戦状態となってしまっている国の国民が幸せに暮らせているようには到底思えません。カダフィ体制崩壊の後押しをしたのは国連決議後に武力介入したNATO、北大西洋条約機構の軍(英米仏が中心)のようですが、もしこういった他国の介入が無かったらリビアは現在どうなっていたのでしょう。報道機関の言う独裁体制が消滅することは多くの国民の利益に必ずしも直結するとは限らないのかな、などとこの記事を作っていて感じました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

アラブの春の影響を受けた別の国、シリアについて触れている話「ロシアはどのような理由でシリアを支援しているのでしょう」はこちらです。

米国と対立する指導者が率いてきたベネズエラの混乱について触れている話「ベネズエラでインフレが進行した理由は何なのでしょう」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る