故事成語「杞憂」の読み方や意味、由来となった話について
「杞憂」の読み方
故事成語「杞憂」は「きゆう」と読みます。
「杞憂」の意味
故事成語「杞憂」は考慮する必要の無いことを心配する事、今後起きるかどうかわからないことなのに悪いほうに考えをめぐらせ無駄に心配する事といった意味があるようです。
起きることが全く考えられない、非現実的な出来事が起こるのではないかと悪く考えて心配する場合や今後起こるかどうか全くわからないので今考えても意味が無いのに悪いほうに心配するという二つのパターンがあるようです。
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「杞憂」が故事成語となった由来の話
「列子」という中国の古典に掲載されている話です。書き下し文を私なりの表現で現在の言葉にしております。忠実な訳とは異なる部分もあると思いますがご了承ください。
大昔の中国に杞(き)という国がありました。(現在の河南省の中に存在していた国だそうです)その杞に天が落ちてきて地面も崩れ落ちてしまって安全を確保する場所が無くなってしまうことを心配するあまり、寝ることも食事をすることも止めてしまう人がいました。そしてそんな心配をしているこの人物のことを心配している人もいました。その人が食事も寝ることも止めてしまった人に説得しようとして言いました。「天は空気の集まったものだけだし、空気の無いところなんて無いよ。人が体を動かしたり呼吸するように当たり前に一日中空気は天の中を漂っていて行き止っているんだよ。なのに何で天が落ちてくるなんてことを心配するの?」
すると心配で眠れない人は「天が空気の集まりならば太陽や月や星座が落ちてくるに違いない。」と言いました。それに対して心配ないと話している人は「太陽や月や星座は空気の中で光り輝いているだけのものだよ。たとえ落ちてきたとしてもあたって怪我をすることなんて無いさ。」と言いました。
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すると心配で眠れない人は「じゃあ、地面が崩れ落ちるのはどうするんだよ。」と言いました。心配ないと話している人は「地面は土の塊が集まって出来ているものじゃないか。どこもかしこも土でいっぱいになっていて土の塊が無いところなど無いじゃないか。その土の塊を下にしておれたちが地面を踏んで歩くようなことをしたところで俺たちは変わらず地面の上にいられるじゃないか。何で地面が崩れるのを心配するんだよ。」
すると心配して眠れなかった人は心配していたことがすっかり無くなってとても喜び、心配ないと説明していた人も相手が気に病まなくなったのを見て心配する必要が無くなり大変喜びました。
以上が故事成語「杞憂」の由来となった話の内容です。
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自分の周りを見まわした時に杞憂かなと思うこと
自分の過去を振り返った場合、「あれは杞憂だったな」と思うもの。すぐ思い浮かぶのはノストラダムスの大予言ですね。西暦1999年がらみでノストラダムスが残した詩を解釈した本がたくさん出版されたと思いますが、「1999年に世界(人類社会)は終わってしまうんだぁ。あー、どうしよう。」と将来を暗く感じていたことが私に関して言えばありました。
結局ありがたいことに1999年で世の中が終わるなんてことはありませんでした。あの出来事こそ、起こりようもないことを心配する、あるいは将来起こるかどうかわからないことをあれこれ悪く考えるという「杞憂」そのものだったのかなという気がします。
あとは、何十年も前にUFO関連番組を見て子供心に「突然宇宙人が現れて、農場の牛みたいに連れて行かれたらどうしよう。」と心配したこともありました。お恥ずかしい話ですがあれも考えてみると「杞憂」ということになりますかね。これはUFOをどうとらえるかによって意見が分かれるかもしれませんが。
この故事成語の話は起こりもしないことを心配したり今後どうなるかわからないことをあれこれ悪く考えても意味ないですよ、と教えてくれているような気がします。怪しげな話に振り回されそうなときはこの「杞憂」の話を思い出してみようと思いました。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関連はございません。ご了承ください。
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