パリ講和会議とは?提唱された民族自決や日本の出席者についても
パリ講和会議とは
パリ講和会議(ぱりこうわかいぎ)とは西暦1919年(大正8年)にフランスの首都パリで行われた国際会議です。この会議は第一次世界大戦で連合国側として戦った国が参加して行われており、ドイツなどの同盟国側と、どのような内容の講和条約を結んだらよいかについて協議することが主な目的でした。しかし他にも平和的に国家間の諸問題を解決するための国際機関(後の国際連盟のことです)の設立が話し合われるなど、取りあげられたテーマの範囲は講和の他にも及んでいました。日本国も会議に参加していましたが積極的な発言が無かったということで主要国から「サイレントパートナー」などと皮肉られたようです。しかし日本側は様々な思惑もあったでしょうがこの会議で人種差別を撤廃するよう参加各国に呼びかけました。この会議の前にアメリカの大統領ウィルソンが14カ条の原則という当時の世の中の価値観から見れば理想的な内容をたくさん盛り込んだ国際政治に関わる方針をアメリカの連邦議会で表明して、この講和会議でもアメリカはその方針に沿った主張をしたようです。ただ理想主義的なアメリカの主張は会議であまり反映されず、第一次世界大戦で大きな被害を受けたフランスの主張が多く採用される結果となりました。フランスはドイツに対し第一次世界大戦で受けた被害に関して相応の償いをさせるべきだという主張をしていたようです。このパリ講和会議で協議された結果に沿ってその後講和条約であるヴェルサイユ条約がドイツとの間で結ばれ、オーストリアとの間では同様の講和条約、サンジェルマン条約が結ばれることとなりました。
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この会議で民族自決が認められたケース
民族自決というのはそれぞれの民族自身の考えによって、独立するか別の国に所属するか、どのような統治組織を作るか、どのような政治を行うかなど自分たちの政治的な決定をおこなう事を意味します。また民族自決という考え方には他の民族、他の国の干渉を認めないという意味を含むこともあるようです。パリ講和会議ではこの民族自決という考え方が会議参加国によって認められた人たちがいました。その結果この会議で独立し国を作ることも認められています。この会議で独立が認められることとなった国には「チェコスロバキア」、「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国」があります。どちらの国もそれまではオーストリア=ハンガリー帝国の領地となっていました。チェコスロバキアは現在のチェコ共和国、スロバキア共和国が存在している地域で一つの国となっていました。スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国はイタリアの東隣の地域に存在していた国ですが、その後国の名前が1929年にユーゴスラビア王国となっています。この様に東ヨーロッパの民族の自決については尊重されたわけですが、この会議で他の地域(アジア、アフリカの諸民族)についてはそのような考えがあてはめられることはありませんでした。他の地域の民族はこのような結果に大変失望したようです。
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日本側の出席者
この会議に出席した日本国側の人物は首席全権が西園寺公望(さいおんじきんもち)さん、他の全権は伊集院彦吉さん(イタリア駐在大使)、珍田捨巳さん(イギリス駐在大使)、牧野伸顕(まきののぶあき)さん、松井慶四郎さん(フランス駐在大使)といった人たちでした。西園寺さんはこれまで複数回内閣総理大臣を担当してきた有名な政治家です。牧野伸顕さんは華族(伯爵)のかたで当時までに文部大臣、農商務大臣、外務大臣などを経験していた政治家です。この人は大久保利通さんの息子さんです。この会議の日本代表団として随行した人たちを合わせると60人くらいの数になりました。その中には後に歴史の授業で名前の出てくる近衛文麿という人や吉田茂さんもおられたようです。
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今回はパリ講和会議について取りあげてみました。長期かつ広範囲にわたる戦争となってしまった第一次世界大戦を戦った一方の側がどのようなことを話し合うものなのか関心がありましたし、歴史上大変有名な出来事でもある様なので調べてみることにしました。日本が中国大陸でドイツ側と戦い占領した山東省の地域に関してアメリカ側が中華民国に返還すべきだと主張したのに対して日本は山東省の権益を守るため抵抗したようですし、日本側が人種差別撤回を主張したことに対してはアジア系アフリカ系の人たちに対する差別が存在していたアメリカや大英帝国に所属するオーストラリアの強い反発によりイギリスも反対しました。オーストラリアは当時「白豪主義 (白人を優先し白人ではない人たちを排除する考え方)」という方針で運営されていたそうです。東ヨーロッパの一部の民族が独立を認められたのは喜ばしいことでしょうが、多くは理想主義の追求などというよりはそれぞれの国の利益の調整というのがこのような会議の姿ということのようです。結局は自分たちの国の利益を損なわないように振る舞うということですね。良い悪いということで言えば悪いようにも見えますが、自分たちの社会を守るためという大義名分で各国の代表も行動しているわけですし、「悪い悪い」と批判するだけというのも一方的な見方のように感じますし。難しいですね。こういう国際的な利害衝突の場というのは、各国が利害を調整してそれ以前に比べ理想に近づき平和が保たれるような結果に至ればそれだけでも大成功というところなのでしょうか。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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