協調外交とは?中心となった幣原さんや強硬外交についても

協調外交とは

 

協調外交(きょうちょうがいこう)とは他国の利害と衝突しない、他国の利益を大きく損ねないよう配慮した外交政策という一般的な意味がありますが、ここでは1920年代以降たびたび日本の外務大臣として活動した幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)さんのおこなった外交を指しています。この人の行った外交は「幣原外交 しではらがいこう」とも呼ばれています。幣原外交の特徴は国際協調主義とも呼ばれますが、イギリスやアメリカと協調した外交、つまりイギリスやアメリカといった軍事大国の利益に反しない、イギリスやアメリカから批判されない外交政策ということになるようです。また条約で認められている中国大陸における日本の権益は守るものの、中国大陸に存在していた中華民国の内政には基本的に干渉しないという特徴もありました。この外交方針に対し日本国内では一部から「幣原軟弱外交」と呼んで批判する意見もありました。特に軍部からはそのような批判が強く出ていたようです。

 

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幣原喜重郎さんについて

 

大阪出身の方で東京帝国大学を卒業後、一旦農商務省に入りましたが、外交官試験に合格後外務省に移り、外交官として活動することとなります。43歳で外務次官(外務省の事務方の中では一番立場が上の人です)となりました。1921年から22年にかけて行われた国際会議、ワシントン会議では日本側の全権の一人として活動しています。1924~1931年までの間様々な内閣(加藤高明内閣、若槻礼次郎内閣、浜口雄幸内閣など)で外務大臣を務めました。日本と中国の武力衝突、満州事変が発生した1931年以降は外交に関与することも無くなっていきます。第二次世界大戦で日本が敗れた年、1945年から再び政治の世界に戻り、この年の10月、内閣総理大臣となります。首相職は一年ほどで辞任しますが、その後も吉田茂内閣で副総理を担当したり、1947年の衆議院議員選挙で当選以降は衆議院議長を担当したこともありました。第二次世界大戦前の混乱期から終戦にかけての時期を除いて日本の政界で目立った活動をすることの多かったかたです。

 

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強硬外交について

 

強硬外交というのはここでは幣原喜重郎さんの行った協調外交と対照的だったということでこのように呼ばれる田中義一内閣の対外的な姿勢を意味しています。積極外交とも呼ばれるようです。具体的な事例としては中国大陸に存在していた中華民国国内の勢力争いに中国大陸に滞在していた日本人が巻き込まれ被害に遭ってしまう出来事が生じたり、被害に遭うことが心配されるような状況で日本の軍隊を中国大陸の山東半島地域に派遣する、山東出兵と呼ばれる軍事行動を複数回行いました。1927年に南京で蒋介石という人の率いる武装勢力(国民革命軍)が日本を含む多くの外国人滞在者を襲撃するという事件が発生しています。幣原外交の場合ですと、干渉しないという外交方針を理由に日本政府はこの時日本人滞在者を残らず救助するという目的で軍隊を派遣するという選択をしなかったようです。このように他国に対する方針に大きな違いがありました。

 

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今回は清浦奎吾内閣が総辞職した後に誕生した加藤高明内閣の特徴を一部扱ってみようと考え、協調外交を取りあげてみました。幣原さんが外務大臣を担当したのは加藤高明内閣だけではありませんが、この際なので幣原さんが外務大臣だった時代の外交方針について大まかにまとめています。イギリスやアメリカとの間で大きな衝突が生じなかったのは好ましいことのように感じます。後にそのような国々と大きな戦争になってしまうことを考えますと尚更この時期の外交方針を多くの人が評価する気持ちになるのもわかるような気もします。ただ中国大陸に滞在する日本人が蒋介石の率いる武装勢力の一部に襲撃されて被害に遭っているのに救出のために政府が軍を派遣するなどの対応をしなかったというのは、当時の日本人からしてみたら日本政府の対応はひどい!と批判したくもなるのではないでしょうか。イギリスなどは軍を派遣したようです。こういった点では協調した対応はとらなかったんですね。現地の治安が現地の警察やその国の軍隊によってしっかり守られている状態であれば日本軍を派遣する必要などないでしょうが、被害が続出し、治安が保たれていない場合は日本政府が守ってくれなければ現地の日本人を誰も守ってくれないでしょう。他国と衝突しない外交政策というのは確かに素晴らしい面があるように思いますけれど、今回の記事を作っていてそれは程度によるのかなぁという感じもしました。強硬外交と呼ばれはしますが田中義一内閣が日本人を守るために山東半島に出兵したというのはやむを得ない対応だったのではないかという気もします。意見が分かれるところなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

幣原喜重郎さんが全権の一員として関わっている話「四カ国条約とは?この条約の内容や日英同盟との関わりについても」はこちらです。

幣原さんが政権からいなくなる節目「満州事変の途中で退陣した若槻内閣とその後発足した犬養内閣」はこちらです。

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