日米修好通商条約後の貿易品の内容や貿易の影響について

日米修好通商条約締結後の主な貿易品内容

 

日本から輸出される物の大半は生糸、お茶、蚕の卵が張り付けてある紙(蚕卵紙さんらんし)、海産物といった品だったようです。その中でも生糸の割合は非常に高く、輸出品の7割以上を占めていたようです。ほとんど生糸といった感じですね。

日本が他国から輸入した品物は毛織物(羊毛製品ですね)や綿織物(綿製品)、武器、艦船でした。毛織物と綿織物を合わせると輸入品の7割以上を占めていたようです。かなりの割合です。

 

このような貿易は横浜港で盛んに行われていました。貿易開始後は輸出する商品の合計額と輸入する商品の合計額を比較すると輸出額の方が多かったそうです。

そして貿易量の多かった相手国は通商条約締結に熱心だったアメリカではなくイギリスでした。皮肉なものです。これはアメリカの南北戦争が影響したからだと言われています。

 

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貿易開始後の影響について

 

輸出の7割を占める生糸は作れば売れるため生産量が増加していったようです。欧米では生糸があまり作られていなかったんですね。また、お茶の生産も増えたようです。

輸入品の中に顔を出していた綿織物ですが、外国から安い値段の綿製品が入ってきたので日本で綿製品を作っても値段が高いことが理由で売れなくなっていきました。そのため日本の綿織物業が衰えていったため日本国内の綿花消費量が減り綿花を栽培していた日本の農家の方々は儲からなくなってしまいました。また、生糸を使って絹織物を作っている日本の絹織物業者さんは生糸がどんどん外国へ輸出されてしまうため生糸が不足気味になり生産に支障が出たのだそうです。

生産品の流通にも変化があったようで、地方で作られた品物を地方の商人が江戸の問屋さんを通さず外国の商人に直接売るようなパターンが増えました。問屋さんが困ってしまいますね。

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また、貿易が始まってから生産品が外国へ流れたせいで商品が不足していき江戸の物の値段が高くなってしまいました。インフレです。物の値段が高くなってしまうと人々の生活を圧迫してしまうので江戸幕府は商品の海外への流出をある程度コントロールしようとしました。生糸など五つの生産物を必ず江戸の問屋を通してから輸出するような決まりを作っています。しかし効果は薄かったそうです。

他の大きな影響としては、金(きん)の不足があります。海外に金が大量に流出してしまったため、貨幣を作るための金が足りなくなってしまいました。やむを得ず金をあまり含まない貨幣を作ることで幕府は対応しましたが、金の含有量が少ない貨幣という事でお金の価値が下がってしまったことになります。そのせいで余計に物の値段が上がってしまいました。

何故金が海外へ流出してしまったのか、ですが、日本と外国では金と銀の価値が異なっていたからだと言われています。日本では銀の価値が海外に比べ高くなっていました。そのため日本では同じ量の銀で外国に比べてたくさんの金と交換できることから外国の商人は好んで自分たちの持っている銀を日本の金と交換しました。その結果日本の金はどんどん海外へ流出したわけです。何とかできなかったんでしょうかねー。

 

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こうして見てみると貿易によって潤うのはどんどん輸出される生糸やお茶や海産物の生産者、それを流通させる生産地近くの商人と外国の商人くらいなものでしょうか。

日本の綿花を作るお百姓さん、綿織物を作って生計を立てていた人、生糸を使って織物を作っていた人、大都会の江戸の問屋さん、江戸で生活する大勢の人たち、江戸幕府にとってあまり貿易は得にならなかったという事ですね。得する人、損する人の人数でいえば損する人の方が圧倒的に多そうに感じますがどうなのでしょう。

貿易によって大勢の人が振り回されたということを今回のテーマを調べていて学んだ気がします。これは江戸末期に限った話ではないですよね。貿易にかかわる仕組みが変化することで影響を受ける産業が出てくるのは現代でも全く同じような気がします。騒がれていた「TPP」が実現した場合に影響を受けたであろう生産者の数は膨大だったのではないでしょうか。他国との貿易の仕組みを変える時には慎重な配慮が必要だと感じました。迷惑する人が多ければ何のための変更かわかりませんので。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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