1927年の金融恐慌とは?この恐慌の原因についても

1927年の金融恐慌とは

 

西暦1927年(昭和2年)に日本で発生した金融恐慌(きんゆうきょうこう)とはいくつかの出来事によって日本国内の様々な銀行で取り付け騒ぎが起き、多数の銀行が休業に追い込まれたという出来事です。日本政府が支払猶予令を実施して混乱を収束させました。取り付け騒ぎというのは銀行にお金を預けている大勢の預金者が、銀行がつぶれて自分の銀行に預けたお金が戻ってこなくなることを心配し、預けた自分のお金を引き出そうと銀行に殺到することです。1927年の金融恐慌では日本各地でこのようなお金を引き出そうと預金者が銀行に押し寄せる現象が発生しました。銀行の休業というのは銀行の破たん、倒産とは違います。預金者にお金を支払うような銀行業務を停止させることであって、支払うことの出来る体制が回復したら業務を再開することが出来ます。支払猶予令(しはらいゆうよれい)というのは銀行が預金者にお金を支払うまで期日、時間を延期しますよという国が出した決まりです。預金者にお金を支払うまでの時間を引き延ばすことによってたくさんの紙幣を印刷し支払いに必要なお金が足りない状態の銀行に印刷した紙幣を大量に運んで殺到する預金者の支払い要求に対応しようとしました。この支払猶予令というのは「モラトリアム」とも呼ばれるそうです。

 

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この恐慌の原因

 

この恐慌が発生する以前から金融機関の経営に関し心配はされていたようです。1923年に関東大震災が起きてしまいます。多くの会社が被害を受けて以前自分たちが手形を出しはしたものの、とても手形通りお金の支払いに応じることが出来ない状態となりました。手形というのは「~までにこれだけのお金を支払います。」と証明する本来お金に換えることの出来るものです。取引のある会社同士で手形を発行したり発行された手形を受け取ったりします。手形を受け取った会社が手形に書かれているお金の支払い期日まで待たずにこの手形を現金化したい場合、この手形を銀行などに渡してお金に換えることもできます。ただし支払期日満期で受け取れるお金に比べれば受け取れる金額は減ります。こういう期日より早い時期に手形を現金化することを割引(わりびき)と言います。ということで普通このような割引に銀行のような金融機関は応じるものなので、銀行には手形が集まってきます。しかし大震災のせいで手形を発行した会社はお金の支払いが無理な場合が多く銀行が保有している手形は言ってしまえばお金に交換できないただの紙くずになりかねない状態でした。これでは銀行の保有する現金が少ない状態のままですよね。こういった理由で銀行の経営が傾いてしまうのではないかと心配する声が当時の世の中では多かったわけです。そんな中震災で支払いが出来ずに問題となっている手形をどう処理するかについて問題解決のための法律を通そうと政府が法案をだし国会で議員と議論をしていました。

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この議論の中で当時の大蔵大臣、片岡直温(かたおかなおはる)さんが当時存在していた東京渡辺銀行について、今日渡辺銀行が破たんしましたと発言してしまいました。実際は現金の支払いに困って休業を検討していたくらいで破たんなどはしていませんでした。この大蔵大臣の発言によって渡辺銀行に預金者が殺到、取り付け騒ぎになってしまいます。結局渡辺銀行は休業するかしないかというギリギリのところでお金の工面を一生懸命して踏みとどまっていたのですがこの取り付け騒ぎによって預金者の支払い要求に対応することが出来なくなり休業になってしまいました。渡辺銀行が危ないならあの銀行も危ないだろう。休業になる前にお金を引き出しておこうということで預金者は他の銀行でもお金の引き出しのため殺到してしまいます。休業になった銀行がいくつも出てしまう結果となりました。中央銀行の日本銀行が紙幣をいっぱい印刷し各銀行に貸し出し支払いに対応することが出来るようになって一旦は混乱が落ち着きました。しかしこの混乱が起きた翌月に非常に人々を心配させるニュースが発表されました。当時有名な貿易会社だった鈴木商店に多額のお金を貸していた台湾銀行が今後鈴木商店との取引をしないということが判明したのです。鈴木商店の経営が第一次世界大戦後の不況で傾いていることは多くの人が知っていることでしたし、鈴木商店にたくさんのお金を貸していた台湾銀行も経営に行きづまるんじゃないかと人々は考えました。台湾銀行は日本政府の意向で設立された銀行でもあり普通の銀行に比べ規模も大きく格上と見られた銀行でした。その銀行が危ないなら地元の銀行なんてもっと危ないじゃないかということで預金者はお金を引き出そうと様々な銀行に殺到しました。金融不安の中このような複数の原因で人々がとてもあわてて金融恐慌となってしまいました。

 

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今回は金融恐慌について一部取りあげてみました。金融恐慌によって当時の内閣が結果的に倒れて新しい内閣が支払猶予令を出すようなことになりましたが、このような大きな出来事ですし、混乱した人々がどう行動するのか関心もあって調べてみようと思いました。大臣の発言や大きな銀行の取引に関する方針のニュースが人々に「大変だ!!!」という決定的な思い込みを持たせてしまうんですね。大臣職というのはこういう歴史的な事実を見ると本当に大きな責任を担っているということを改めて感じます。この一連の出来事を調べてみて大臣の発言が無くても台湾銀行関連のニュースで取り付け騒ぎは起きて休業する銀行が出ていたのだろうなぁとは思いました。心配を強めてしまうニュースで人々が混乱するというのは昭和初期に限った話では決してないのでしょうね。これからの時代に取り付け騒ぎが現実に発生するという事態を想像することは今の私の身の周りを見ていても難しいですが、こういった時に信じ難い事態が発生すると人々はかつてのように大混乱に陥ってしまうものなのかもしれません。お金は本当に大切なものですから自分の手元に戻ってこないかもしれないなどということになったら人が慌てるのは当たり前のことです。政府には今後ぜひそのようなことが起きないよう適切な政策をおこなってほしいものです。ちなみに人々はこの金融恐慌の後、「この銀行はつぶれないよね。」ということで財閥の銀行に集中して預金するようになりました。その行為、気持ちはよくわかります。少しでも安心な銀行に預けたいですもんね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の恐慌の前に発生する恐慌に関連する記事「日本の戦後恐慌とは?恐慌が起きた原因や影響についても」はこちらです。

今回の恐慌の何年か後の時代に発生する恐慌に関連する記事「昭和恐慌の原因や恐慌時の井上大蔵大臣(浜口内閣等)の姿勢」はこちらです。

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