日本の戦後恐慌とは?恐慌が起きた原因や影響についても

日本の戦後恐慌とは

 

日本の戦後恐慌(せんごきょうこう)とは第一次世界大戦でフランスやイギリスなどの連合国側が戦っていたドイツと1918年に休戦してから2年後、西暦1920年に日本で発生した恐慌です。戦後恐慌という言葉自体は大きな戦争の後に発生する恐慌を意味していますが、日本の場合は第一次世界大戦の後に発生した恐慌を意味することが多いです。恐慌というのは景気が突然非常に悪化する出来事のことです。恐慌の時には株式市場で株価が急激に下落したり、企業がたくさん倒産したり、失業する人々がたくさん出たり、銀行の倒産を多くの人が心配して自分の預金を引き出そうとして多くの人が銀行におしかける「取り付け騒ぎ」が起きる場合が多いようです。第一次世界大戦後の日本で発生した「戦後恐慌」でも今説明した恐慌の現象が起きています。1920年3月に突然東京や大阪の株式市場で株が暴落し、4月にある銀行が手形の支払に必要な資金を工面できず破たんし更に株価が暴落、5月には生糸などを扱う有名な貿易会社が倒産し、その会社に多額のお金を融資していた銀行も倒産に巻き込まれ破たんします。この出来事で更に株式市場に上場していた企業の株価は暴落しました。

 

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「戦後恐慌」が起きた原因は

 

1920年に「戦後恐慌」が起きた原因でよく指摘されるのは、第一次世界大戦が終了したことによる日本産商品の消費量減少です。第一次世界大戦によってヨーロッパでの物資の消費が増えました。ヨーロッパで生産された物資はそれまではアジアやアフリカに輸出され消費されていましたが戦争によってヨーロッパで使われることでアジア、アフリカに出回らなくなりました。そのためヨーロッパからもアジアからもアフリカからも商品の注文が日本やアメリカに殺到し日本企業は生産量を大幅に増やし大いに利益を得ました。世界大戦前に比べ比較にならない程生産量は増加しました。しかし世界大戦が終了してヨーロッパでの消費が減ることでヨーロッパでもアジアでもアフリカでもヨーロッパで生産された製品が供給されることになり日本産の商品が必要とされなくなっていきました。戦争中に比べ日本産の商品は全然国外で売れなくなってしまったのです。「戦後恐慌」の他の原因としては1919年以降の株式市場や商品市場、不動産に多額の投機目的のお金が流れ込んだことも挙げられることがあるようです。当時の日本は中央銀行である日本銀行によって印刷された紙幣がたくさん世の中に出回った状態となっていました。世の中にたくさん出回ったお金は株や商品市場、不動産といったところに短期間で利益を得る行為、投機目的でどんどんつぎ込まれ実情に合わない高い株価、商品価格、不動産価格をつける結果となりました。あまりに高くなりすぎて実際に妥当な値段との開きが大きくなりすぎ、価格の暴落につながってしまいました。戦後恐慌の前に投機行為によってあまりにも価格が様々な分野で高くなっていることを警戒し、日本政府は公定歩合、日本銀行が銀行に貸し出すお金の金利を上げて世の中に出回るお金の量を減らそうとする政策をとっています。この政策も1920年の3月というタイミングで株価が暴落したことにつながっているのかもしれません。

 

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戦後恐慌の影響は

 

戦後恐慌によって株価や商品価格、不動産価格が大変低下してしまい、株や商品市場、不動産で多くの人が多額の損失を出しました。これにより消費の低迷につながりましたし多くの企業の業績が悪化したことで失業者がたくさん出ました。企業の倒産も増加しました。企業が品物を生産しても売れないので生産活動を少なくするため機械を動かす時間を短くする、操業短縮 そうぎょうたんしゅくが多くの企業で行われました。商品の値段が大変下がったことで生糸の原料を供給している養蚕の農家の収入も減ってしまい生活が苦しくなりました。銀行でも預金者の取り付け騒ぎが起きました。銀行がたくさんのお金を貸していた大きな企業が倒産してしまったことで貸したお金が回収できなくなり銀行自体が倒産するということも起こってしまい預金者の心配を煽りました。中央銀行の日本銀行は支払いの対応に苦労しているたくさんの銀行を支援するため、あるいは銀行が企業にお金を貸さなくなってしまう状態を改善するため、銀行に特別に多額のお金を貸しだすという対応をしました。また政府は日本政府との関係が深い日本興業銀行など複数の銀行にたくさんの企業に対してお金を貸すようにさせました。企業が倒産しないよう助けるためです。このような状況の中でも財閥と呼ばれる企業集団は利益の確保に成功し、それぞれの関連企業の体質を強化することが出来、ますます競争力が強くなったそうです。

 

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今回は戦後恐慌について取りあげてみました。これまで作っている記事と年代が逆行してはいます。しかし日本社会が受けた影響は相当大きかったようですし、恐慌になると一体どのようなことになるのだろうということが個人的には明確にイメージ出来なかったこともあって調べてみることにしました。株式市場の平均株価が高かった頃に比べ半分以下に下がってしまったということですから相当な衝撃ですよね。株式に投資している人にしてみれば。株に投資しない人たちにとっても解雇されたり、失業したり、収入が激減したりと本当に散々な目に遭う現象です。好景気になるのは多くの人が利益を手にすることになるのでしょうからいいとして、恐慌になる位傷が深くなることを防ぐ方法は無かったんでしょうかね。自分が企業経営者の立場だったらどのようにすると恐慌に巻き込まれないで済んだのだろうと考えたりもしますが、戦争前に比べて急激に生産量を拡大させた場合戦争が終わったことが理由で生産を自主的に減らそうとしても雇用している人たちに辞めてもらうわけにもいきませんよね。生産が減ると儲けが減るし生産が多かった時に抱えた従業員を雇用し続けるとたくさんの人件費がかかってしまうし。生産量を減らすのも簡単ではなさそうです。大戦景気だからと言って生産量を増やさないほうが良かったんでしょうかね。それとも大戦景気の真っ最中に一旦増やした生産量を大戦前のレベルに減らして希望退職者を募るとか。今回の話を調べていて空前の好景気というのは、実は企業経営者にとってあまり油断のならないことなんだなという気がしました。いわゆる成金と呼ばれた方々の多くも戦後恐慌で痛い目に遭ったそうです。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

不景気な世の中にした別の時代の出来事に関連する記事「松方財政とは?この経済政策が行われた背景や影響について」はこちらです。

戦後恐慌から10年くらい後の不景気に関連する記事「1930年の金解禁とは?その目的や解禁後の影響についても」はこちらです。

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