関東大震災とは?朝鮮人や中国人、社会主義者への対応についても
関東大震災とは
関東大震災(かんとうだいしんさい)とは西暦1923年(大正12年)9月1日に相模湾の北西部を中心に発生した地震による災害のことです。この地震は大正関東地震と呼ばれているそうです。地震の大きさを示す指標、マグニチュードはこの大正関東地震の場合7.9という値とも8.2という値とも言われています。阪神・淡路大震災の時の地震、兵庫県南部地震のマグニチュードは7.3、東日本大震災の時の地震、東北地方太平洋沖地震のマグニチュードは9.0でした。大正関東地震によって被害を受けた中心地域は神奈川県や当時の東京府でしたがその他周辺の県でも大きな被害が出ました。被害が出た地域は茨城県から静岡県の広い範囲に及んだようです。地震で被害に遭った方は340万人、亡くなられた方は約9万1344人、行方不明者は1万3275人、重軽傷者は5万2074人でした。被害が出た住宅は37万戸以上にもなったそうです。損害額は約55億円だったそうで、当時の日本の国家予算の4倍弱というとてつもない額でした。関東大震災からの復興が達成されたことを記念する行事「帝都復興展覧会」が1929年(昭和4年)に開催されていますので6年ほどの年月が復興のために必要だったということになります。
スポンサーリンク
関東大震災での朝鮮人、中国人への対応
関東大震災ではあまりに災害の規模が大きいこともあって日本政府から戒厳令が出ました。戒厳令が出るということは国民の生命を守ること、治安を維持することを最優先として一定期間法律の効力を停止し社会の統治を軍に委ねるということです。あまりの混乱した状況で法律に従って世の中を動かしていたのではとても追いつかないという判断を政府がしたからこのような対応をしたのでしょう。この状態の下で多くの朝鮮人などが拘束され殺害されるという事態が発生しています。行商のため関東に出向いていた地方出身の日本人の方々や耳や目の不自由な日本人の方々の中でも殺害された方がおられたそうです。地震が発生した後、朝鮮の人たちが各地で日本人を襲撃したとか飲料水確保のために利用されていた様々な井戸に毒を入れたといった情報が広まり、地域の人たちが組織した自警団が朝鮮人や中国人を拘束し殺害したそうです。そもそも日本政府の方針として自警団は組織されました。軍、警察の力だけで治安を維持するのが困難だと判断したのでしょう。当時の世の中の情勢を知る手段はラジオではなく新聞くらいしかなかったようですが、当時の新聞に様々な朝鮮人による悪事が掲載され関東一帯の人々は朝鮮出身の人たちを強く警戒しました。行商していた日本人や、耳や目が不自由な日本人が被害に遭ったのは朝鮮の人たちだと疑われたからだったようです。殺害された人数については諸説ありますが日本政府側の資料では朝鮮人の死亡者は231人となっており、民本主義という言葉を世の中に広めた東京帝大の吉野作造さんの調査では2613人ということで死亡者の数に大きな幅が出ています。日本政府側の資料では中国人の死亡者は3人、朝鮮人だと間違われて殺害された日本人が59人おられたそうです。大勢の朝鮮出身の人たちが被害に遭っている事実を知り日本政府は国民に対して朝鮮出身の人たちを敵視しないよう声明を出す結果となりました。
スポンサーリンク
社会主義者への対応
関東地震が発生した後地域の警察に逮捕され軍によって殺害された社会主義者、無政府主義者がいました。有名なのは無政府主義者と言われている大杉栄という人物と妻と見られる女性、伊藤野枝、大杉という人の甥にあたる6歳の男の子が警察機能も任されていた陸軍の組織、憲兵隊に拘束され、殺害された事件です。甘粕事件(あまかすじけん)、大杉事件とも呼ばれる出来事です。殺害した軍人については軍法会議にかけられています。軍法会議というのは軍の内部で行われる刑事裁判です。殺害を命令実行した甘粕正彦大尉は懲役刑10年となりました。社会主義を信奉し労働運動に関わっていた人たち10名が地震後に革命に関する歌を歌って騒いでいるということで警察に逮捕されその後殺害されるという事件も起きました。拘束された亀戸警察署の中でも、やめるよう指示しても大きな声で革命家を歌い続け、署内で拘束されている周囲にいた他の大勢の人たちを煽り続けたという理由で軍の判断で殺害されました。亀戸事件(かめいどじけん)と呼ばれており有名だそうです。
スポンサーリンク
今回は関東大震災の被害と震災後に殺害された人たちについて取りあげてみました。大正時代の日本に大きな影響が出た出来事ですし、その過程で朝鮮系の人たちや社会主義者が殺された理由は何だったのか今一つわからなかったこともあって調べてみました。関東大震災が大変規模の大きな災害だったことは承知していましたが具体的な犠牲者数は知りませんでしたので10万人を超える人が死者、行方不明者になったという事実を知り驚きました。火災によって命を落とす人も多かった震災だったようです。これだけの混乱の中情報も無く新聞で朝鮮系の人たちにまつわる悪事が書き立てられれば基本的に読者の多くはあまり疑わないでしょうね。朝鮮人が新聞に書いてある通りの悪行をしていたのかどうかについては、実際にそのような行為があったという指摘もあれば、虚報だったという指摘もあるようで、実際はどうであったのか個人的に判断は出来ませんでした。悪いことをしていない朝鮮の人たちも大勢関東で生活しており、自警団に襲われるのを心配して日本の警察や日本軍に保護を求め、警察や軍もそれに応じたそうです。いずれにしても普段から多数派にあまりよく思われていない少数派の人々はこのような社会混乱の時多数派から襲われる危険性があるということは言えそうです。他国で少数派として生きていくということはそれなりのリスクがあるものなのですね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
天災ではないものの世の中が混乱した出来事に関連する記事「1918年に発生した米騒動とは?その原因や影響についても」はこちらです。
天災ではなく政府の政策で世間が混乱した出来事の関連記事「昭和恐慌による物価や輸出・輸入の変化と農家の状況について」はこちらです。
最近のコメント