広田内閣総辞職に繋がる寺内寿一と浜田国松の腹切り問答とは

腹切り問答とは

腹切り問答(はらきりもんどう)とは西暦1937年(昭和12年)の1月に日本の議会、衆議院内で行われた衆議院議員、浜田国松(はまだくにまつさん)さんと当時陸軍大臣であった寺内寿一(てらうちひさいち)さんの間でおこなわれた問答の事です。浜田議員は大政党、立憲政友会に所属していたかたでした。浜田国松さんが質問演説を1月21日に議会でおこないます。質問演説の内容というのは軍部が政治介入していることへの批判や国民の負担を考えていると思えない増税や産業界を混乱させる経済統制を政府がおこなおうとしていることなどに関する政府への批判でした。軍部に対する批判については、軍部が政治を引っ張る勢力となっているように見える、軍関係者の中では独裁政治を志向する風潮があるように見え、文官と武官の分担を逸脱しようとする危険がある、といった内容の発言をおこない、軍人勅諭などを引合いにだし軍人は政治に関わるべきではないという考えを主張しました。軍人がそれほど政治に関わりたければ軍服を脱ぎサーベル(剣のことですね)を捨てて政党を作ればよいだろうといった内容の発言もありました。これに対し広田首相が答弁しましたが、その後寺内陸軍大臣も答弁をすることとなります。

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寺内さんはこの質問演説に対し「やや軍人に対し侮辱したような感じがする言葉がありましたが、その言葉はかえって浜田さんの主張する軍と国民が協力するというありかたに反するのではないかと思います。」といった内容が含まれる答弁をしました。すると浜田さんがそれに対し「私の演説中軍部を侮辱する発言があったと陸軍大臣が言っているが、どの発言が軍を侮辱したというのか。国の為にも軍の為にも善意をもって慎重に質問したつもりだ。私のどの発言が軍を侮辱したというのか。」といった内容の発言をしました。それに対し陸軍大臣が「今浜田さんが言ったような発言を私はしていない。侮辱しているように聞こえる発言は浜田さんの言う国民一致の精神に反するので忠告したまでです。速記録を確認してください」。といった内容の答弁をしました。これに対し浜田さんが陸軍大臣に忠告されるようなことを自分が言ったなら世の中に謝罪しなければならないといった内容を述べた後に「速記録を調べて私が軍部を侮辱した発言があれば腹を切って陸軍大臣に謝罪しよう。もし速記録にそのような侮辱の発言が無ければ陸軍大臣が腹を切れ。」といった内容の発言をしました。陸軍大臣は「私が前言と異なる発言をしたように言っているが速記録を見てください。」といった内容を答弁しこの腹切り問答は終わりました。

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問答の後

このようなやり取りがおこなわれた後、陸軍大臣は非常に腹を立てたということなのでしょう。浜田さんをにらみつけました。衆議院議員と陸軍大臣のやり取りによって摩擦が生じ混乱したことで議会は次の日から停会となってしまいました。陸軍大臣は政党勢力、つまり衆議院議員たちに反省させるため広田総理大臣に衆議院を解散するよう要求しました。影響力の強い陸軍大臣からの要求ではありましたが広田首相にとってしなければならない重要な仕事があったため結局解散はしませんでした。首相を始め他の大臣は解散の要求を取り消すよう陸軍大臣に対し説得したのですが寺内陸相は考えを変えません。内閣に所属する大臣の考えが統一されなかったため広田内閣は総辞職することとなりました。当時の憲法のもとでは内閣に属する大臣たちの意見が統一できない場合、内閣が成立しないこととなって総辞職しなければならなかったようです。この腹切り問答がきっかけになって広田内閣は退陣しなければならなくなりました。

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今回は広田内閣が総辞職するきっかけについて取りあげてみました。軍部大臣現役武官制や英国や米国との協調という姿勢とは距離を置いた国策の基準や日独防共協定締結など、その後影響してくるようなさまざまな出来事が広田内閣の時に実施されました。そのような重大なことをした内閣が退陣した理由というのは押さえておいたほうがいいのかなという気がしたので調べてみた次第です。人によって今回の問答に関する意見は様々でしょう。そんな些細なことで退陣することになったの?と驚く人もいるかもしれません。個人的には陸軍大臣がこらえ性の無い人だなということ(私もあまり人の事は言えませんが)と浜田さんもそんなに陸軍大臣を怒らせなくてもいいのにといったことを感じました。浜田さんが議員として当時の軍部を批判することは意義のあることだとは思いますし、訴えている内容は本当にもっともなことだと思うのですが、それで軍が大人しくなるような、そんな単純な話でもありませんし。「陸軍大臣が妙な批判をしているな。」くらいに浜田さんも相手にしなければよかったんじゃないでしょうか。浜田さんが広田内閣を退陣させたくてこのようなやり取りをおこなったというのなら、すごい才能のようにも思いますけれど。また広田首相もどうせ内閣を退陣させるなら軍部大臣現役武官制を採用するかどうかという時点で、そのような陸軍側の要求は飲めないと言って退陣したらよかったのにとも思いました。現役武官制が後に軍の発言力を強めた原因だという指摘は多いので。広田内閣がやらなくてもその後の内閣で現役武官制にされてしまうこととなったかもしれませんけれど。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

軍部を批判していた戦前の他の政治家に触れている話「斎藤隆夫議員(民政党)の粛軍演説とは?演説後の反響も」はこちらです。

政党が自主的に消えていく出来事について触れている話「1940年に発足した大政翼賛会とは?政党の反応についても」はこちらです。

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