戦前の日本とイギリスの関係が悪化したのはなぜなのでしょう

戦前の日本とイギリスの仲が悪くなったのはどうして

第二次世界大戦がはじまる以前の日本や世界の歴史、出来事、日本と有力国の関係について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では第二次世界大戦、その一部でもある大東亜戦争、太平洋戦争が勃発する以前の時期までに日本国とイギリスの関係が次第に悪くなっていったのがなぜなのかについて私なりに書いてみたいと思います。ご承知の通り日本国は大東亜戦争、太平洋戦争でアメリカはもちろんですが、別の強国であるイギリスとも戦いました。イギリスとは東南アジアを戦場にして戦っています。インドに存在するイギリスの戦略拠点を制圧するために日本軍が「インパール作戦」を強行して多くの日本兵の方々が乏しい補給や感染症が蔓延したことなどで命を落とされたことはよく知られていることかと思います。大東亜戦争(太平洋戦争)時はアメリカとイギリスを憎悪する表現である「鬼畜米英 きちくべいえい」が日本各地で使用されていました。イギリスが敵国となったので、戦う相手ですから、好印象を持たせる標語など使われることが無いのは当たり前ではあります。しかし鬼畜、鬼、畜生ですから。大変な言われようです。そんな悪口を言われたイギリスですが、かつては日本と同盟を結んでいた友好国でした(大東亜戦争時の日本の友好国はドイツ、イタリア、満州国、タイなど)。日清戦争が終結し日本がロシアとの関係を悪化させていた時期以降、イギリスは日本側についてくれていました。そんなイギリスと日本の関係はどうしてその後悪化してしまったのでしょう。第一次世界大戦後の日英同盟の解消、貿易競争や満州地域などといった経済、権益上の摩擦、中華民国における日英間での方針の足並みが揃(そろ)わなかったことなどがよく指摘されているようです。

具体的な枠組みが無くなってしまいました

明治三十五年、1902年に日本とイギリスはロシア帝国を念頭に同盟関係となりました。その後日露戦争となりますが、その戦争が終わっても日英間の同盟関係は続きます。大正三年、1914年にヨーロッパが主戦場となる第一次世界大戦が始まりました。この時も日英同盟は続いており日本はイギリス側に立って参戦、ドイツと対峙し中国大陸では日本軍が実際にドイツ軍と戦っていますし、日本海軍がアジアとヨーロッパ間を航行する輸送船を護衛したり、イギリス、日本が属する陣営、連合国側の兵員の輸送にも貢献しました。敵対勢力であるドイツ、オーストリアなどの潜水艦からの攻撃を受けて命を落とされた日本軍人のかたがたもおられます。こうした大きな戦争が発生した時代も経て同盟は継続されていたのですが、第一次世界大戦終結後にアメリカの首都ワシントンD.C.で開かれた国際会議、ワシントン会議によって、日英間の同盟関係は終わりを迎えました。会議の中で同盟関係の更新はおこなわないことが決められたそうです。日本、アメリカ、イギリス、フランスが締結する四カ国条約(しかこくじょうやく)がワシントン会議の中で成立しましたが、この条約の成立を理由に日英同盟は発展的に解消されたなどと説明されたようです。日本が四カ国条約に調印したのは大正十年、1921年です。この条約の中にわざわざ「本条約批准(ひじゅん 条約を最終的に同意すること)と同時に日英同盟は廃棄さるべし(廃棄されるのが当然だ)」といった内容が盛り込まれもしました。しかし四カ国条約はお互いの国々の領土、権益を尊重するという約束であって、四カ国間の軍事同盟などではありません。同盟の解消によって日英の結びつきは同盟関係が存在していた頃に比べて当然薄まっていきます。中国大陸での権益をめぐって日本と利害がかみ合わなかったアメリカ。アメリカにとってはそんな日本が強国であるイギリスと同盟関係を結んでいることが好ましくないためイギリスに働きかけたなんていう話もあるようです。米英間のそのような協議が記録として残っているものなのかよくわかりませんが、アメリカが日英同盟破棄をイギリスに要求したという指摘は多いです。違う見方もありますが。

利害の不一致

日本の産業が明治以降発展し、日本とイギリスは自国、自国の勢力圏で製造した品物を他国に販売する貿易の世界で競争相手となります。それまでイギリスが儲けていた市場に日本製品が流入してイギリスの利益が減少することにもつながりました。日本はかなり産業の合理化を進め他国の製品と比べて大変安い価格で似たような製品を販売するようになりましたが、不当に価格を下げて販売しているとイギリスの勢力圏から非難されるようなことも起きています。世界恐慌が昭和四年、1929年に発生しますが、工業化が進んだ国々は大不況となった時代に自国の経済的な利益を守るため強引なことをします。イギリスがおこなったブロック経済はよく指摘される事例ですが、これによって日本製品はイギリス本国、イギリスの保有していた広大な植民地、植民地とは異なる立場のカナダやオーストラリアといった自治領、イギリスから自治権が与えられていた地域に輸出される場合大変高い関税をかけられることとなりました。イギリスの勢力圏でそれまでのように日本は商売をさせてもらえなくなります。また日本の強い影響下にあった中国大陸の満州国については、満州国を国家として承認するかどうかで日本と欧米諸国で対立することとなりました。日本は満州国を承認しイギリスやアメリカなどは満州国を国家として認めません。当時存在した国際機関である国際連盟では日本の権益を認めるけれど満州地域を中華民国に返還するという形をとって自治政府がつくられるべきという意見が採用されます。つまり満州国を国家として認めないということになりますので日本は連盟の結果を受け入れられないという理由で連盟を抜けます。満州国では一時期アメリカやイギリスの企業が石油関連事業で商売をしていたそうですが、満州国が満州石油会社を設立しその会社に専売、事業を独占させるという政策をとったことで英米がビジネスチャンスを失うようなこともありました。満州国の背後には日本がいると見てはじき出されたイギリスやアメリカは日本に抗議したそうです。対立する構図をいくつか挙げてみましたが、日本とイギリスは商売の世界や支配地域をめぐって対立することが増えていきました。

今回は大東亜戦争、太平洋戦争が始まる以前の時代に日本とイギリスの関係が悪化した理由について一部取り上げました。先日はアメリカが支那事変、日中戦争の際に日本ではなく中華民国の蒋介石が率いる勢力を支援したのはなぜなのかについて記事にしてみましたが、イギリスの場合はどうして日本と対立するようなことになってしまったのか少し自分で考えてみたところ正直よくわかりませんでした。満州国をイギリスが承認しなかったとか、柳条湖事件、満州事変、満州国建国といった一連の出来事を国際連盟の意向で調べたイギリスのリットンさんの名前がついている調査団(リットン調査団)が日本にとって不満の残る報告を連盟に提出したといったこと、国際連盟の決定に不服な日本が連盟を脱退したことは何となく知っていましたが、それが日英関係を決定的に悪化させたのか・・・、今一つ納得がいきませんでした。そういった二国間にとって残念なことはあったものの、そうはいっても日英同盟をある時期まで結んでいた間柄でもあるわけですし。ということで日英間の仲が険悪になる理由を確認してみたく今回のようなテーマの記事を作ってみた次第です。ブロック経済の話は世界恐慌でイギリスやフランスがとった対応策として耳にしてはいましたが、日英関係を冷えさせる要因として今まで意識したことは特にありませんでした。ただイギリスはイギリスで自国の勢力圏でブロック経済を実施しておきながら満州国からビジネスチャンスを奪われたら日本に抗議するというのは言っていることとやっていることに違いがあるような気がしてしまいますし当時の日本人は英国が満州国を承認しなかったこともひっくるめて英国に対して相当強い不満を感じていたかもしれないなぁという印象を持ちました。中華民国をめぐる英国の大きな姿勢転換などについて今回触れることが出来ませんでしたが今後可能であれば別の記事で取り上げてみたいと思います。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではyurisyanさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

本文でも名前を出しましたが、四カ国条約について触れている他の記事「四カ国条約とは?この条約の内容や日英同盟との関わりについても」はこちらです。

この記事の本文でも出てきたリットン調査団について触れている話「リットン調査団とは?出された理由や満州国についての見解も」はこちらです。

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