満蒙の危機とは?日本の軍隊である関東軍の考えについても
満蒙の危機とは
満蒙の危機(まんもうのきき)。中国大陸の満州地方と呼ばれた現在の遼寧省(りょうねいしょう)、吉林省(きつりんしょう)、黒竜江省(こくりゅうこうしょう)、この三省が存在する地域と内蒙古(ないもうこ)と呼ばれる、現在のモンゴル国と東側で隣接しているモンゴル高原東部の一部地域を総称して満蒙(まんもう)と戦前の日本では言っていました。1930年頃この満蒙地域で日本の保有する権益が脅かされている事態を「満蒙の危機」と呼ぶ風潮が強まります。この地域には日本国の経済的な利益を生み出す財産、権益が第二次世界大戦終了まで存在していました。具体的には遼東半島の一部の土地や南満州鉄道やその鉄道を運営する会社が所有していた土地などといった付属の財産です。日露戦争の後にこのような財産を日本は獲得(借りているという体裁ではありますが)しましたが、時代が移り変わり1930年頃には以前のようには利益を得られなくなっていました。
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南満州鉄道は満州地域で生産される大豆の輸送で大きな利益を得ていたのですが、1930年以降の昭和恐慌で大豆の価格が下がり以前ほどもうからなくなったという事情もあります。しかしその他にも南満州鉄道と似たような場所に鉄道が敷かれてしまい本来であれば南満州鉄道が引き受けていた輸送の仕事を奪ってしまうような動きが出てきていたことも南満州鉄道の利益、日本の利益を減らすことに関係していました。この南満州鉄道と近い地域の鉄道を敷いたのは張学良がリーダーである満州地域を勢力下に置いていた武装勢力と中華民国の国民党勢力でした。張学良の勢力は中華民国を当時仕切っていた国民党勢力と関係を強め、日本との関係は以前に比べ悪化していました。また、満州地域では1930年頃日本製品の排斥運動も強まっていたようです。また当時の中華民国では国権回収運動という、過去に他国に奪われた中国大陸の権益を取り戻そうという動きも強まっていました。不景気、中華民国を統治していた勢力との経済的な競争、日本に反発する世論を理由とした日本製品排斥、国権回収運動。このようないくつかの要因が重なって満州地域での日本の経済的な利益が更に減少してしまったり、権益が消滅してしまうのではないかと危ぶむ声が日本国内で強まりました。
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関東軍の考え
中国大陸の半島で、朝鮮半島に隣接している遼東半島(りょうとうはんとう)の先端の地域や南満州鉄道に属していた土地を戦前の日本は関東州(かんとうしゅう)と呼んでいました。それら一帯は長期間日本が中国大陸の国から借りていた地域であり借りている期間は日本の財産でしたから日本の軍隊が駐留して日本の権益を守っていたわけです。日本から派遣され現地に駐留し日本の権益を守っていたのが関東軍(かんとうぐん)です。日本は満州地域を支配していた武装勢力と以前は比較的良好な関係でしたが、武装勢力のリーダーである張作霖(ちょうさくりん)が暗殺されてからは現地の武装勢力と日本はあまり良い関係にはありませんでした。張作霖暗殺事件に関東軍の関係者が関わっていた可能性が高いと見られていたからです。元々張作霖が暗殺される前(暗殺事件は1928年です)、1927年に開かれた東方会議以前から関東軍関係者の一部には現地の武装勢力との関係を強めて満蒙にある日本の権益を保護、防衛しようという当時の日本政府の考えと異なり、現地の武装勢力のリーダーから権限を奪い、中華民国から満州地域を分離させ、これまでよりも日本とかかわりの強い勢力が満州地域を管理したほうがいいと考える人もいたようです。また「満蒙の危機」が叫ばれるようになってからは満州地域を中華民国から分離させて日本の勢力下に置こうという考えが関東軍内部でさらに強まっていくこととなりました。
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今回は「満蒙の危機」や関東軍の考えについて取りあげてみました。満蒙の危機という言葉は聞いたことがあるような気もするのですが、何故危機なのかよくわからなかったということもありますし、あまり詳しく日本史の教科書でも述べられていなかったので調べてみたいと思いました。また満州事変が発生する以前の関東軍の考えについても確認しておきたく、この記事の中で取りあげてみました。南満州鉄道の近くで別の鉄道が敷かれ南満州鉄道が請け負っていた仕事を奪ったら、それは、南満州鉄道側の儲けが減るに決まっていますよね。調べた範囲では元々南満州鉄道の付近に並行する鉄道は敷かないという取り決めがされていたようなのですが、それを公然と破って国民党勢力は鉄道を敷いたようです。摩擦が生じるそのような行為をわざわざしたということは、そういうことをしても当時の国民党は日本を除く他国から強く批判されなかったということなのでしょうね。武力を背景に他国の領土を長期間租借することを認めさせるということにそもそも根本的な問題はあるでしょうけれど、契約に違反する行為を堂々とおこなうというのもいかがなものかという気はしました。他国の領土内に権益を保有したとしても、そのような権益は突然奪われてしまう。そんな危険性がついて回るものなのかもしれませんね。日本国の国益だけを追求していくと関東軍の一部関係者が考えるような内容に行きつくのかもしれませんけれど、当時一部地域を租借していたものの、満州は基本的に日本の領土ではありません。強引なことをしたら反動も当然強くなるでしょうけれど、関東軍はその後、敢えて強引なことをやってしまうんですよね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
当時の情勢を受けて関東軍がとった行動に関する話「柳条湖事件とは?事件を起こした理由や石原莞爾についても」はこちらです。
満州地域での関東軍の勢力圏拡大に関係する話「柳条湖事件後の関東軍の動きと政府(若槻礼次郎内閣)の対応」はこちらです。
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