台湾は日本との関係を日中共同声明後どうしたのでしょう

日中共同声明後の日本と台湾の関係の変化

 

西暦1972年(昭和47年)の9月29日に日本政府と中華人民共和国政府の間で「日中共同声明 にっちゅうきょうどうせいめい」と呼ばれる約束事が署名、調印されました。この二カ国の共同声明によって日本と中華人民共和国は国交を結ぶことになります。このような動きに対し台湾に存在する中華民国政府は共産党勢力である中華人民共和国と国交を結ぶ判断をした当時の日本政府を批判する声明を出しました。共同声明が署名されたのと同じ日、9月29日にそのような声明を出して日本との国交を断つと表明しています。しかし1972年、同じ年の12月には日本と中華民国政府(台湾)の間で民間が運営するという建前の外交的な機能を持った事務所を開設することになりました。日本と中華民国政府(台湾)が作った事務所はお互いの地域を旅行する際の旅券の事務や在留に関する手続き、査証(さしょう ビザとも呼ばれる、入国が許可されていますよと証明するもの)の発給も担当しています。台湾側は日本と正式な外交関係を断ちましたが、民間レベルという建前で日本との関係を継続する仕組みを作ることに日本との間で合意し人的、経済的な交流を維持することにしました。日本と中華民国政府(台湾)の関係は現在もこのような形で継続、発展しています。

 

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中華民国政府の国交断絶表明

 

上でも書いた通り1972年の9月29日に中華民国政府(台湾)は日本との国交を断絶すると声明を出しました。日中共同声明の中で中華人民共和国政府が台湾地域を中華人民共和国の領土であると主張しており日本国政府がそのような中華人民共和国の政府の主張を理解し尊重するという内容が盛り込まれています。中華民国政府の存在する台湾が中華人民共和国政府の領土であるという主張を中華民国政府は到底容認することが出来ません。自分たちの勢力の存在を否定することになってしまいます。そのような主張を日本が支持するような姿勢をとるのであれば、日本が中華民国政府(台湾)を否定するということと変わりません。日本は1952年の8月に日華平和条約、正式名「日本国と中華民国との間の平和条約」という条約を結んでいました。日中共同声明の20年も前の話です。その中で日本と中華民国、二国間の関係は国連憲章第二条を指針とするとしていました。国連憲章第二条では国連が加盟国の主権平等の原則に基礎を置くとしています。日本も中華民国も主権平等の原則を尊重しなければなりません。そう考えますと中華民国政府(台湾の政権)の存在を否定する日中共同声明はやはり日華平和条約の精神と相容れないことになるわけです。日中共同声明の内容は日本が中華民国政府(台湾)の主権を尊重していることになりませんので。

 

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民間レベルの交流の維持

 

ただ台湾としては日本との交流をすべて断ち切るということは非常に困難だったようです。1971年の台湾の他国との貿易の合計額は41億ドルくらいだったそうですが、そのうちの11億ドルくらい(26%くらい)は日本との間の貿易によるものでした。台湾の企業が日本企業からの技術提供を受けていた事例も多かったようです。このような貿易額で大きな割合を占める相手国との貿易関係を一切断つということは台湾社会にとって打撃であり大きな損失となることは明らかです。そのため政府間の正式な外交関係は断つにしても民間の間での交流を維持し経済的なつながりを継続するという方向で日本側も台湾側も同意することになり、交流のための拠点を民間レベルで開設することにしました。1972年の12月に日本側は財団法人交流協会という団体を、台湾側は亜東関係協会という団体を立ち上げて日本と台湾の交流窓口にしました。

 

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今回は日中共同声明と台湾の動きに関し一部取りあげました。中国大陸を実質的に支配している共産勢力と正式に国交を結んだ出来事ですしその反面、中華民国との正式な外交関係を断つことにつながった出来事ですから重大であることは間違いありません。個人的にはなぜ台湾側に義理を欠くような真似をしてまで日本は中華人民共和国との関係改善に動いたのだろうという疑問があって日中共同声明に関係したテーマで記事を作ってみた次第です。ただ日本が中華人民共和国との国交に動いた理由というのはよくわかりませんでした。当時中華人民共和国との間では国交は無いものの貿易は行われていたので、貿易などで経済的な利益を得たいという理由で日本が国交を結んだわけではないのだろうなと思いこんでいました。ただ念のため、国交が回復することにより貿易規模が一気に拡大することになったのか調べてみました。日中間の1971年の貿易額は5億7千万ドルくらい。1972年は6億ドルくらい。しかし国交回復後の1973年は10億3000万ドルくらい。急激に増加していました。この事実を知って、こういった貿易拡大を予想して日本の財界が経済的な利益の為に国交締結の後押しをしたのかなという気がしてきました。単なる憶測ではありますが。アメリカが中華人民共和国との関係改善に動いたから日本も関係改善しようとしたという指摘が多いですし、それは当然日中が国交を結んだことに影響したとは思います。今回の日本の行動を見て、別に日本に限った話ではないのですが、改めて国家間の取り決めというものはそれ程あてになるものではないのだなと感じました。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

中国大陸の動向に少し触れている話「米国がGHQに占領政策を転換させようと動きます。なぜ?」はこちらです。

中国国民党勢力がまんまと利用されてしまう話「第二次国共合作とは?合作成立の理由や合作の崩壊についても」はこちらです。

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