米国がGHQに占領政策を転換させようと動きます。なぜ?
占領当初の政策
1945年に第二次世界大戦の戦闘が終わり連合国軍が、とは言っても大半はアメリカ軍ですが日本に入り占領しました。占領後はアメリカ、イギリス、中華民国の蒋介石政権が共同で表明しソ連も後で参加したポツダム宣言の内容に従って、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本政府にいろいろな指示を出していきます。日本国の軍事的な要素を取り除くために日本軍の武装解除はもちろんですが、軍関係者や戦前の軍の発言力が大きかった時代に指導的な立場にあった人々を公職から追放したり、一部の人々を戦争犯罪人の疑いありと見なして逮捕したりしていました。また日本社会を民主主義的な方向へ変化させていくことを目的に国民の多くの割合を占める労働者や農業従事者の立場を向上させるような制度を日本政府に導入させていきました。労働条件の改善につながることになる労働組合設立の奨励や小作人さんの割合を減らし自作農の人たちの割合を増やす農地改革などは代表的な事例です。終戦まで選挙権を国から与えられていなかった20歳以上の女性に選挙権が、そして25歳以上の女性に被選挙権が与えられるようになりました。主要な産業分野でかなり利益を占めていた財閥を解体させ、独占禁止法といった法律を日本側に作らせて出来るだけ多くの事業者、人々に経済的な利益を分配するような仕組みに変化させ、社会の民主化を促進させようとしました。このように占領当初、GHQが日本政府に実施させた政策というのは民主化や非軍事化といった言葉で表現されることが多い内容でした。
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米国政府が政策を転換しようとします
1945年8月以降の対日占領政策の方針をアメリカ政府が転換しようとします。1948年に入ってからそういった動きがいろいろと出てくることになりました。アメリカのトップということではありませんが、アメリカの陸軍長官というかなり重要な立場の人物が1948年の1月に極東で新たに戦争や侵略が起こらないよう、極東で全体主義に対する防壁の役割を果たすよう、日本の占領政策は強力な民主政治を育てるような方針にする必要があるといった内容の演説をして、これまでGHQが日本で進めていた非軍事化のための政策を変更するよう主張しました。陸軍長官だったのはケネス・クレイボーン・ロイヤルというかたです。また日本の経済状態を自立、安定させる必要があるという考えから日本が連合国側に対しておこなう賠償の規模を減らすべきだという提言がアメリカの関係者からアメリカ政府に対しおこなわれるようになります。これも1948年の出来事です。またアメリカの国務省(日本の外務省のようなもの)の役人、ジョージ・ケナンという人がアメリカ政府の意向で日本を訪れGHQのトップ、連合国軍最高司令官のマッカーサーと会談し日本の軍事力を強化するべきだといった内容を含む提案をしています。そして1948年の10月、アメリカ政府内の国家安全保障会議という外交方針を決めるうえで大きな影響力を持つ部署が日本の警察機構は増員と再装備をして強化されるべきだといった、日本の軍事力強化が必要だと示唆する内容を含む「アメリカの対日政策に関する勧告」を出しています。
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何故アメリカで対日占領政策を転換する動きが出てきたのでしょう
ソビエト連邦をはじめとする共産主義勢力の動きにアメリカが警戒感を強めたからです。またそれと意味が重複することになりますが、中華民国の蒋介石政権が中華民国を統治することが出来なくなってしまったためです。ソビエトの指導者スターリンは終戦後1946年に入り資本主義勢力を敵視する内容を含んだ演説をおこない、イギリスのチャーチルもソ連が東ヨーロッパに勢力を拡大していることを批判するようになります。資本主義諸国と共産主義国の関係が悪化しました。東ヨーロッパの国々でソ連の後押しによって共産主義の政権がどんどん出来ていき、東アジアでも中華民国国内で蒋介石政権の国民党勢力と共産党勢力の関係が悪化し内戦が起きてしまいます。1947年には国民党側が共産党勢力に押されるようになり1948年には共産党勢力の優位が揺るがない状態となっていったそうです。アメリカが第二次世界大戦後の世界を一緒に仕切っていこうと考えていた中華民国蒋介石政権があてにならなくなってしまい、東アジアで蒋介石政権の代わりに共産主義の拡大を防いでくれる存在がアメリカにとって新たに必要となっていきました。蒋介石政権の代わりをやってくれる存在としてアメリカは日本に任せようと考えるようになり、上で書いたような政策転換の動きが次第に出てくるようになりました。
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今回はアメリカの対日占領政策の転換について一部取りあげました。この方針転換によって日本に警察予備隊、後に保安隊、自衛隊となる軍事的な組織が作られることになるわけですし、経済面でも大きな変化につながることになるので日本にとってはとても重大な出来事です。アメリカとしても第二次世界大戦の時に日本を敵として戦い、自国民の兵士がたくさん犠牲となった記憶は強く残っているはずなのに、日本を弱体化させようという方針を終戦からたった3年後に変えようということなのですから相当な理由が無いとそのようなことにはならないはずです。共産主義勢力の拡大はアメリカにとってそれくらい恐ろしかったということなのでしょう。アメリカのような超大国であってもこのように対外的な政策が大きく変わってしまうことがある、というのは注目するべき点なのかなと思います。この時は日本にとっていい方向に政策が変わったという見方が出来るかもしれませんが、いつもそうだとは限りません。超大国が日本にとって都合の悪い方向に政策転換する危険性というのもあらかじめ想定しておいたほうがよいということなのかもしれません。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
GHQが何なのかについて触れている話「GHQ(ジーエイチキュー)とは簡単に言うと何なのでしょう」はこちらです。
日本占領当初おこなっていた代表的な政策の一つについて触れている話「日本で財閥解体がおこなわれた理由は何なのでしょう。」はこちらです。
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