日本で財閥解体がおこなわれた理由は何なのでしょう。

日本で財閥解体がおこなわれた理由

 

第二次世界大戦に日本国が敗れ、連合国軍、主にアメリカ軍によって日本が西暦1945年(昭和20年)8月以降占領されます。連合国に占領されてから日本国内では財閥解体(ざいばつかいたい)がおこなわれました。財閥というのは経済上欠かすことの出来ない様々な産業分野で売り上げを寡占(かせん)するような有力な企業が多数所属している企業集団のことです。この財閥と呼ばれるような企業集団が終戦直後の日本には多数あり、連合国軍側はこの企業集団を解体する、企業同士の結びつきを切り離す政策を日本政府に実施させました。財閥解体は連合国軍側の命令があったからおこなわれたわけです。ここで先ほど出した寡占という言葉の説明をさせてもらいます。寡占というのはある業界の売り上げが多い上位4社だけで業界の売り上げの4割、40%以上を占めているような状態のことを意味しています。売り上げの多い企業がその業界の売り上げのかなりの割合を占めているということですね。話を戻します。なぜ連合国軍側は日本の財閥を解体しようと考えたのでしょう。アメリカは日本を占領した際の方針を「降伏後における米国の初期の対日方針」という名前の文書としてまとめていますが、その中で日本の商工業の大部分を支配してきた産業上及び金融上の大コンビネーションの解体を支持するべきといったことが書かれています。

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コンビネーションというのは「組み合わせ」を意味する言葉です。この一環として財閥の解体もおこなわれました。このような政策をおこなう理由として文書の中で民主主義勢力の強化を挙げています。工場などのような生産手段や商業手段の所有権やそのような手段によって得られる利益は出来るだけ多くの人々に分配される、そのような政策がおこなわれるべきだと考えたようです。そのため少数の人が利益を独占するような仕組み(財閥組織はこのような性格を持っているとアメリカ側は見ていたわけですね)は多くの人々に利益を分配するという目的のためには望ましくなく、そのような仕組みは除かれるべきだと考えたわけですね。連合国軍側が財閥を解体したいと考えた他の理由ですが、連合国軍は日本の財閥が連合国側の言う日本の「軍国主義」を第二次世界大戦が終わるまで経済の面で大いに支えてきたと理解していました。連合国側は日本から軍事的な性格を取り除いて再び連合国側にとって日本が軍事的な脅威になることを防がなければならないと考えていたのです。連合国軍にとって日本の軍国主義を経済面で支えた財閥組織は日本から軍事的な性格を取り除くためには邪魔な存在に映ったので解体した、こういった理由も多く指摘されています。

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軍国主義(ぐんこくしゅぎ)という言葉は自国の軍事力を強めることが一番大切なことであって、政治や経済など他の分野の政策は軍事力を強めるという目的に合わせるよう協力させるべきだという考え方を意味しているそうです。また第二次世界大戦で被害に遭った連合国に所属する国々の被害の賠償にあてる資産、財産を確保するという目的も財閥解体にはあった、そんな見方もあるようです。利益を多くの人に分配する仕組みにしたい。日本の軍事的性格を取り除きたい。賠償にあてる為の資産、財産を確保したい。こういった内容が理由のようです。財閥の解体の実際ですが、財閥は様々な有力企業の発行する株式を大量に保有し、そういった有力企業をコントロールする権限を持った「持ち株会社」という組織を頂点としていました。この持ち株会社は同族の人たちによって運営されていたそうです。この持ち株会社は解散させられ、持ち株会社が保有していた有力企業の株式を売却しなければならなくなりました。これによって持ち株会社は有力企業の経営を支配できなくなりました。また持ち株会社だけではなく、財閥の関係者個人が財閥に所属していた企業の株式を保有することも許可しないこととし、関係者の保有する株を処分させました。また、財閥に所属していた有力企業の役員に財閥関係者は就任できないこととなりました。財閥関係者と有力企業のつながりをこのように断ち切ったわけです。

 

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今回は占領時代の有名な経済政策の一つ、財閥解体について一部取りあげました。日本でこの政策がおこなわれた理由について一定の関心が持たれているようですので、そのことを中心に記事にしてみました。財閥解体は経済の民主化のためと説明されることが多いようですが、個人的には「経済の民主化」と言われてもピンと来ませんでした。でも経済上の利益を出来るだけ多くの人に分配するような仕組みを作るといった対日方針の文書の内容を知って何となく理解が出来た気がします。ただ財閥が軍国主義を支えた存在だったとアメリカなどに見なされていたことに関しては濡れ衣のような気もしました。財閥のように経済分野で影響力の大きい立場であれば戦争のような状態になれば当然軍部から協力を求められるに決まっていますよね。財閥からしてみると国や軍の指示に従っただけなのにー、という思いもあったのではないでしょうか。その点は気の毒な気もします。経済的に強い立場の勢力というのは、自国が戦争に負けてしまうとこういった形で損害をこうむるものなのですね。ただこのような財閥解体政策がおこなわれたものの、銀行に関しては目立った制裁も無かったそうで、財閥解体後しばらくしてから銀行を中心に有力企業の連携が進んでいったのだそうです。このような動きも重要な気がします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

財閥について触れている記事「財閥とは?企業グループとの違いやコンツェルンについても」はこちらです。

記事の最後で財閥のことに触れる話「1927年の金融恐慌とは?この恐慌の原因についても」はこちらです。

三大財閥、四大財閥とは異なる企業集団の話「満州事変後成長した日本の『新興財閥』とは?特徴についても」はこちらです。

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