日本が量的緩和政策を実施したのはいつからだったのでしょう

日本が量的緩和政策を実施したのはいつから

 

日本の金融政策を実施する立場にあるのは中央銀行の日本銀行です。日本銀行が「量的緩和 りょうてきかんわ」政策と呼ばれる金融政策を実施したのは西暦2001年(平成13年)の3月19日からでした。この金融政策はしばらく継続されることになり、量的緩和政策が解除、終了されたのは2006年の3月9日です。約5年間継続されたことになります。その後しばらく期間を置いて日本銀行はまた量的緩和政策を実施することにはなります。その時期は2013年3月以降、日本銀行のトップ、総裁に黒田さんというかたが就任してからですので一旦量的緩和政策が2006年3月に解除されてから7年後ということになります。量的緩和政策が日本で導入された2001年3月頃、日本はどのような状況だったのかというと、前年、2000年の8月以降日経平均株価がズルズルと下落していくような、日本の経済の勢いが弱まっている時期でした。2000年8月の日経平均株価は1万6000円台くらいでしたが、2000年10月には1万4000円台、12月には1万3000円台、2001年2月には1万2000円台といった状態だったのです。これはいわゆるITバブル、インターネットバブル、インターネット関連の会社の株価がとても上昇することで証券業界が活気づいていた状態が終わりを迎えたことによる変化だったようです。

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株価が下がると株の売買も活況時に比べて頻度が減りますから証券会社の売り上げも減りますし、様々な会社の株を資産として保有する企業の資産状況が悪化することになりますので保有している株を担保にしてお金を銀行から融資してもらいにくくなります。また株価が低迷すると景気の悪化が心配になりますから企業経営者は積極的に会社のお金を使って生産量を増やすような方針をとらなくなります。会社がお金を使う額を減らすことにつながります。そうなると景気が悪化する方向に世の中が動きます。株価の下落は景気を悪化させる要因として重大なわけです。そして日本は1998年以降、消費者物価指数が前年比で下がり続けていました。生鮮食料を除く消費者物価指数を前年比でみると1998年が-0.2%、99年が-0.1、2000年が-0.4となっていました。物の値段が下落するという経済現象、デフレーション、デフレの状態でした。デフレの状態が続くだけではなく-0.4%に下げ幅を拡大しているのですからデフレの程度が進行、悪化していたのです。デフレになりますと物の値段を下げないと売れませんから、会社の売り上げは伸びにくくなります。そうなると会社で働く人々の給料も上がりません。そうなれば各世帯の経済状態は以前より厳しくなりますから消費活動はどうしても減少します。財布のひもが緩くなることはありません。株価の下落もデフレの進行も日本の経済状態を悪化させる要因になってしまうのでそれを改善させるために2001年3月19日、日本銀行は量的緩和政策を導入することにしました。

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それまで日本銀行が日本の景気を良い方向に動かすためにおこなっていた金融政策は金利を下げるという政策でした。しかし2001年頃の金利は既にかなり下がった状態となっており、金利を下げるという余地はそれ程ありませんでした。そのような状況のため金利を下げるということとは別の手法、量的緩和政策を採用することになります。金利を下げるという方法も、量的緩和政策という方法も結局日本銀行が世の中の金融機関から債権を購入し世の中に出回るお金の量を増やすという行為ではあるのですが、日本銀行がどこまで世の中の金融機関から債権を購入するかという点で、金利を下げる手法と量的緩和政策という手法に違いが出てきます。金利を下げる手法は日本銀行が目印にしている特定の市場でお金を貸し借りする時の金利がある水準にまで下がったら債券の購入を終了してそれ以上世の中に出回るお金の量を増やさないということになります。量的緩和政策の場合はそのような金利に注目するのではなく、債券をどれだけの額購入するかに注目することになります。例えば2001年3月に量的緩和政策をおこなった時には5兆円を目標に世の中の金融機関から債権を購入していきました。金利がどれだけの水準になったかということではなく5兆円という金額が当時目標となっていました。

 

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今回は日本の金融政策の一つ量的緩和について一部取りあげました。これまで採用してこなかったような、一部の関係者に言わせれば特殊な手法であった量的緩和を初めて導入したのが2001年3月なわけですけれど、なぜそのような手法を採用しなければならなかったのか、当時の日本の経済状況はどのような状態だったのかよくわからなかったこともあり、調べてみたく、このようなテーマの記事にしてみました。当時デフレだったと言われても今一つ想像しづらいのですが消費者物価指数前年比が-0.2%→-0.1%→-0.4%と変化したというのを目の当たりにすると下げ幅が大きくなってもいますし、デフレが進行しちゃってるなぁというのがわかります。しかしこのような金融政策よりもずっと規模の大きな金融政策がその後実施されることになるんですよね。日本のデフレはこの2001年から2006年におこなわれた量的緩和という金融政策では退治しきれなかったということです。2001年以降の量的緩和政策の規模が小さかったからうまくいかなかったということでしょうか。もっと積極的な量的緩和政策を主張する人が日本銀行のトップ、総裁であったら展開も違っていたのでしょうかね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

日本銀行の経済政策に関する他の話「日本でゼロ金利政策を開始したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

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