江戸時代に鎖国をすることでどのような影響が出たのでしょう

江戸時代に鎖国をした影響

 

江戸時代が始まる以前に日本は非常にたくさんの国と交易していたわけではありませんが、江戸時代に入ってしばらくしてから(寛永16年、西暦1639年頃までに)幕府は更に政権同士交流する国、あるいは貿易する国を限定して関係する国の数を減らしました。鎖国と呼ばれる政策を実施することになります。なぜ鎖国をしたかについてはキリスト教の布教を熱心にやりたがる国との関係を持ち続けると日本国内でキリスト教信者が増加し大規模な反乱になったら制御することが困難になって国内を治められなくなる心配があったから、といったキリスト教勢力の拡大を抑えるためという理由がよく指摘されているようです。そういった理由もありつつ、幕府によっておこなわれた鎖国政策で日本にはその後どのような影響があったのでしょう。欧州の一部やアメリカのような国々で見られた科学技術の進歩から日本が取り残される結果となりました。他国との戦争が発生するようなことも無く200年ほど経過しました。鎖国以降の江戸時代にキリスト教勢力が国内で拡大することはありませんでした。日本独特の文化が発展するきっかけになったという指摘もあるようです。

 

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日本独特の文化が発展

 

様々な国との交流がおこなわれていたなら日本固有の文化が発展しなかったと断言できるものなのか何とも言えないような気はするものの、この独特な文化の発展という点はよく指摘されているようです。絵画の分野で浮世絵とか演劇の分野で歌舞伎とか浄瑠璃、文学の分野で浮世草子(うきよぞうし)や読本(よみほん)、滑稽本(こっけいぼん)のようなものが江戸時代の間に出てきています。他国の文化が盛んに流入していればそれなりに影響を受けて現実のそういった独特の文化が変化していた可能性は無いとは言えません。ただ江戸幕府はいくつかの国々と貿易をして他国のものが多少は流入していたわけで、他国からの芸術作品、書籍が鎖国中の日本に全く入ってこなかったということは無いと思われます。

 

キリスト教勢力が拡大しませんでした

 

鎖国をした理由の一つであろうキリスト教信徒の増加を、鎖国によって抑える結果となったことは明らかです。キリスト教関係者(修道会に所属する人たちなど)による布教と貿易が一体となっていたポルトガルやスペインといった国々(カトリックという宗派の影響が非常に強いという特徴があります)との関係を厳しく断つことによって日本人がキリスト教に触れる機会を無くし、既にキリスト教を信じている日本人に対しては信仰を捨てるよう厳しく統制することで日本人間でのキリスト教布教の機会も減らし日本国内におけるキリスト教信者の数が増えるようなことは鎖国後ありませんでした。

 

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割と平和な状態が長期間経過しました

 

様々な国々と深く関係するのを避けたことで戦争するほど関係が悪化したり、いずこかの国と同盟を結んで別の国と戦うというようなこともありませんでした。ポルトガルと幕府の関係は相当悪く、交易の再開を求めてきたポルトガル側の使節を幕府が処刑するようなことまでやっていますが、日本とポルトガルの間で戦争になることは幸いありませんでした。上の項目でも触れたように国内のキリスト教勢力が衰退したことで鎖国がおこなわれる以前に発生した島原の乱のようなキリスト教勢力が大きく関わる反乱も起こらなくなりました。対外的にも国内的にもあまり戦わずに済む平和な時代が長期間続きました。

 

欧米の科学技術の進歩から取り残された

 

欧州の国であるオランダとは交流が続き、それなりに医学など欧州の科学の進歩を取り入れることになったのですが、日本国内で戦乱も無く欧州、アメリカで発達した武器、兵器の日本国内での需要は少なく積極的に欧州やアメリカから兵器、武器を導入するようなことにはなりませんでした(ただし江戸時代末期には国内の様々な勢力が他国から兵器、武器を導入するようになります)。日本が平和な間、欧州では強国間での戦争がたびたびおこなわれ、他国を圧倒することを目的に多くの国が競争して兵器、武器の性能を向上させていきました。また1700年代から1800年代中ごろにかけて様々な技術が飛躍的に進歩した産業革命が欧州で起きていました。しかしオランダとの交流ではそれが日本にあまり波及するようなこともなく、日本はその状態で幕末を迎えてしまうことになります。長期間平和だった日本は幕府が自力で兵器を開発するような意欲に乏しく、そのツケが江戸時代末期に来てしまい、大いに慌ててしまうことになります。

 

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今回は江戸時代の鎖国政策による影響について一部取りあげました。幕府による鎖国に関係した記事を作りたかったのですが、鎖国による影響について関心が強いようだったのでこのようなテーマで記事を作っています。私はあまり鎖国政策にいい印象を持っていませんでしたが日本独特の文化が発展したという評価できる面もあるのですね。キリスト教信者の増加を抑えたという件で少し触れましたが、キリスト教勢力が拡大していたら国内で反乱がその後起きていたかどうかについてはよくわかりません。反乱が起きるかどうかは布教を促進する他国の姿勢も関係してくるような気はします。一部には布教が他国侵略とセットになっていたという指摘もあるようですのでポルトガル、スペインとの交易を続けていたら第二、第三の島原の乱は起きていたのかもしれません。個人的に鎖国で頭に浮かぶのは欧米の国々との差が開き、清が英国と戦争(1840年)になって惨敗(1842年)しそれを知った幕府が対応に追われる姿です。平和を謳歌するのはいいとして、もし他国との戦争になったらということを想定して、鎖国の時期であっても少なくとも軍事力の分野では他国をよく研究して日本の技術が遅れているのなら積極的に他国から学び、日本が侵略されないよう軍備を整えておく必要が幕府にはあったということなのでしょう。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

幕府のキリスト教政策について触れている話「江戸時代にキリスト教が禁止された理由は何なのでしょう」はこちらです。

江戸幕府とポルトガルの関係について触れている話「江戸時代のポルトガルとの貿易はどうなっていたのでしょう」はこちらです。

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