朝鮮戦争の頃日本に警察予備隊がなぜ作られたのでしょう

朝鮮戦争の頃日本に警察予備隊がなぜ作られたのでしょう

 

朝鮮戦争は西暦1950年(昭和25年)の6月、朝鮮民主主義人民共和国が大韓民国の領土に侵攻するという行為によって勃発しています。この年の8月に日本国内で警察予備隊(けいさつよびたい)という組織が設立されました。朝鮮戦争開戦から2か月後です。このような時期に日本で警察予備隊が作られたのはなぜなのでしょう。理由の一つはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の最高司令官であったマッカーサーから当時日本の政権を担当していた吉田内閣の吉田茂(よしだしげる)首相あてに出された指示です。マッカーサー司令官は国家警察予備隊を設置することを許可するといった表現が使われた文書を送ることによって警察予備隊設立の指示を出しました。この文書は1950年の7月、朝鮮戦争が始まって一か月くらい後に吉田首相に渡されています。その翌月(8月)に日本側はGHQの指示通りに警察予備隊を設立させました。理由の二つ目はGHQのマッカーサーがなぜこの時期に日本側にそのような文書を渡し、警察予備隊を作るよう指示したのかということとも重なりますが、朝鮮戦争の事態が深刻なため、日本国内に駐留していた占領軍であるアメリカ軍などの部隊が戦闘に加わるため朝鮮半島に移動してしまったからだと言われています。こちらの理由がより本質的なものなのかもしれません。主にアメリカ軍で構成されていた日本国内の占領軍は当時の日本の警察組織だけでは対応するのが困難な治安の維持に協力していたという側面があったようです。日本国内の安定に貢献していたアメリカ軍の部隊がすっぽり日本からいなくなり、後は元々ある日本の警察だけで何とかする、というのはとても難しいので警察予備隊を作って国内の安定を維持しようとした、ということです。

 

スポンサーリンク

警察予備隊設立の大義名分

 

GHQのトップ、マッカーサー司令官が吉田首相に出した文書の中には良好な日本国内の治安状況を維持するためとか法律に違反したり国内の平和を乱すような勢力が台頭することを防ぐためといった理由が警察予備隊設立許可の理由として挙げられています。また日本政府が作成した法令、警察予備隊令(けいさつよびたいれい)の中には日本の平和と秩序を維持し公共の福祉を保証するのに必要な範囲で国家地方警察や自治体警察といった組織の働きを補うために警察予備隊を設立するといった内容が書かれています。当時すでに存在していた日本の警察組織の機能を補うために作ったということですね。設立当時GHQからは警察予備隊の隊員を75000人とする指示が出ています。こういった警察予備隊の設立目的の中には警察機能の増強という内容が書かれているだけで軍隊、軍事組織という位置付けにはなっていませんでした。

 

スポンサーリンク

米国政府内の動き

 

実際にGHQから日本側に指示があったのは上で書いた通り1950年の7月です。しかしアメリカ政府の内部ではそれよりも前の1948年の段階で日本に再び軍隊を作るのが望ましいといった意見が出ています。1948年の1月に日本を全体主義(陸軍長官は共産主義勢力を意味して全体主義と言っていたようです)拡大防止の防波堤とするよう演説したアメリカ陸軍長官のロイヤルという人が国防長官からの問い合わせに対し1948年5月にそのような(日本に再び軍隊を作るのが望ましいという)返答、答申をしたのだそうです。1949年に入ってそれがアメリカ軍中枢の方針として決定されました。そして少し時期を置いた1950年8月に警察予備隊設立が実現ということになります。

 

スポンサーリンク

今回は警察予備隊設立の理由について一部取りあげました。後の自衛隊になる組織の誕生ですので日本にとっては重要な出来事ですし、一部で日本国憲法との整合性がとれないといった意見が出始めるきっかけとなった出来事でもありますので記事にしてみました。警察予備隊の設立の経過を見てみると朝鮮戦争の発生は警察予備隊誕生に相当大きな影響を与えているように感じました。アメリカの中枢では1949年の初めころに日本に軍事組織を作る方針だったのが、それから一年以上もたった朝鮮戦争勃発後間もなく、日本に警察予備隊が出来ていますので。GHQのマッカーサー自体は警察組織の補助という名目であっても日本に軍隊のような組織を設立することについて消極的だったから1949年中に日本側に警察予備隊設立の指示を出さず、朝鮮戦争でアメリカ軍が日本からいなくなってしまうことでしぶしぶ警察予備隊設立を1950年7月にようやく指示したということなのかな、といった気がします。占領政策の転換が必要だとアメリカ政府の使いで1948年3月に日本を訪れたジョージ・ケナンというアメリカの外交関係の役人の主張に対し、マッカーサー司令官は日本の再軍備に反発していたそうです。しかし戦争になって朝鮮民主主義人民共和国に優位に戦いを進められてしまってはアメリカとしても困りますし、マッカーサー司令官もそんなことは言っていられなくなったのではないでしょうか。戦争が起きてしまうと、権力者が大切にしていた方針であっても必要と判断したらコロッと変えてしまうものなのかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

アメリカの対日占領政策が変化することについて触れている話「米国がGHQに占領政策を転換させようと動きます。なぜ?」はこちらです。

連合国側の当初の方針であるポツダム宣言に触れている話「ポツダム宣言にある内容は簡単に言うと何だったのでしょう」はこちらです。

関連記事

最近のコメント

    ページ上部へ戻る