マッカーサー司令官が解任された理由は何だったのでしょう

マッカーサー司令官が解任された理由

 

連合国軍最高司令官の立場でもあり西暦1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では北朝鮮軍と戦う国連軍の司令官の立場でもあったマッカーサーという人物が当時の大統領ハリー・トルーマンに司令官の立場を解任されてしまうことになりました。朝鮮戦争勃発の翌年1951年4月の出来事です。マッカーサー司令官を解任した理由は政治指導者が軍組織をコントロールするという規律を維持、確保するためだったようです。トルーマン大統領はマッカーサー司令官を解任するにあたって軍組織の指揮官は法で定められた手順で導かれる政策や指示に従わなければならないといった内容の説明をしました。これは言い方を変えればマッカーサー司令官がアメリカ政府中枢の方針に従わなかったから、大統領はマッカーサーを解任したということになります。当時朝鮮戦争での戦い方についてトルーマン大統領をはじめとするアメリカ政府とマッカーサー司令官との間で意見対立があったようです。

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司令官が解任された頃、アメリカ政府中枢は朝鮮半島を国連軍によって制圧し半島全体を大韓民国で統一するといった考えを持っていなかったのだそうです。アメリカ政府は戦っている相手、朝鮮民主主義人民共和国や朝鮮戦争に北朝鮮側として参戦してきた中国共産党勢力と交渉をして戦争を中止しようと考えていました。一方、国連軍の司令官だったマッカーサーは戦争を継続し北朝鮮軍や中国共産党勢力といった共産主義勢力を朝鮮半島から排除して朝鮮半島を統一するべきだと考えていました。また、その為にも北朝鮮軍を支援し戦っている中国共産党勢力の拠点である、いわゆる満州地域も攻撃する必要があると考えていたようです。一方は停戦するべきと考えもう一方は勝利するまで戦争を続けるべきと考えているわけですから立場は全く異なります。考えが異なっていても司令官が大統領の方針に従えば問題にはならなかったのでしょうが、マッカーサー司令官はアメリカ政府の停戦の為の動きを無意味にさせるような、敵側の姿勢を硬化させるような、挑発するような発言を言論機関に対してわざわざ行いました。国連軍司令官の立場にある人物にそのようなことをされると、停戦できる話もできなくなってしまいますし、米国の軍人が行政のトップであるアメリカ大統領の意向に反抗していることにもなります。また、それ以前に言論機関に発言をする場合はアメリカ政府側からきちんと許可を得た後にするようにと政府から伝えられていたのですが、マッカーサーはその規則に違反したことにもなりました。そういった事情があり上で書いたような解任措置を大統領がとったということのようです。

 

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大統領と司令官の考えの違い

 

また大統領は朝鮮戦争に参加していた中国共産党勢力が拠点とする満州地域の攻撃について許可をしませんでした。戦争がそれによって拡大、中国共産党勢力やソ連との本格的な戦争になってしまうことを大統領側は恐れていたということのようです。戦争が拡大した場合東アジア地域にアメリカ軍の部隊をさらに派遣できるほど当時のアメリカ軍には兵員がいなかったという指摘があります。欧州にかなりのアメリカ軍が派遣されていました。ソビエト連邦の脅威があったためです。しかし上でも書いた通りマッカーサー司令官は満州地域の拠点を攻撃するべきだと主張していました。攻撃の方法として原子爆弾の使用すら主張していたそうです。結局マッカーサー司令官の主張は政府に伝えられてはいたものの却下され実現はしませんでした。

 

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今回は1945年の終戦後から連合軍の日本占領の象徴だったマッカーサー司令官が辞めさせられた話を取りあげました。この人は終戦後の日本の仕組みを大きく変える指示を出していた当事者ということで当時の日本にとって大変影響力のある人物でしたし、第二次世界大戦を勝利に導いた英雄ということでアメリカ国民にとても人気のあった人物でした。大統領から辞めさせられたという形で連合国軍最高司令官という座から降り日本を後にしたのは自国民からの評判が良く、軍組織の中で非常に高い立場にいた人物の話としてはすごく不自然な感じがしたのでその理由を確認したく記事にしてみました。国の最高指導者である大統領の政策に反抗したということが決定的な理由だったようですから大統領が司令官を解任したというのは無理もないのかなという気がします。軍が政治指導者の指示に従わないというのは非常に問題なのでしょうから。こういうことを放置すると軍組織の規律が乱れてしまう原因になってしまうかもしれませんし。軍が勝手に動くような話は特定の国に限ったことではないのでしょうね。戦前の日本でも張作霖という人物の爆殺の件で関与が強く疑われた日本軍関係者の処罰をきちんとおこなわなかったことが波紋をよんだり、満州事変が起きた時に朝鮮半島に配属されていた日本軍部隊が軍中央の許可なく関東軍を支援するために勝手に満州地域に移動したなどという話がありました。もしマッカーサー司令官の主張する戦争継続の道をアメリカ政府が選択していたらどういう結果になっていたのでしょう。マッカーサー司令官の目論見通りに朝鮮半島を国連軍が統一出来たのでしょうか。そうなっていれば現在の日本が抱える拉致問題の発生を防ぐことは出来たのかもしれません。ただ司令官の主張していた原子爆弾の使用に関しては、それが適切だったのかどうか。1949年の8月にはソ連は核実験に成功していたそうです。1951年の段階で共産主義勢力の支配地域にマッカーサー司令官の主張通りアメリカが原爆を使用していたら、とんでもないことになっていたかもしれません。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

マッカーサー司令官が関わっている話「大日本帝国憲法を改正することになった理由は何なのでしょう」はこちらです。

マッカーサー司令官の占領下でひどい目に遭った人たちの話「東京裁判で死刑判決が出たA級戦犯はどなただったのでしょう」はこちらです。

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